夫の仕事の関係でアメリカに行ったものだから、会社関係のお付き合いも多かった。


オハイオはホンダのアメリカ工場があるところでもあったし、大学都市でもあったので研究者もたくさん来られていた。


またいわゆる五大湖も近いのでデトロイトあたりまでの自動車関係の工場など私も同行させてもらったこともある。




そんな中ある会社でKさんと知り合い、その後家族ぐるみでおつきあいをいただくことになった。


Kさんご夫妻はロシアからの亡命者。



アメリカに入国する際、役人に袖の下を要求されたがお金が底をついてしまっていた。


そんなときおばあちゃんが、そっと身につけていたルビーの指輪をはずし、それを役人に渡して入国させてもらった。




着のみ着のままでアメリカに来たので生活はとても苦しく小さなアパートに親戚も含めみんなで暮していた。



という苦労話など、いろいろと教えてもらった思い出がある。



中でも思いで深い話は、kさんがとても教育熱心だったこと。


3人のお子さんたちはそれぞれ修士や博士課程にすすまれ、専門家として活躍されていた。




EDUCATION



どんなものよりも大切なのは教育。学問を身につけることで、しっかりと生きていける。



いつもそんな風に話をされていた。




そういえば、ブラジルなどの日系の方たちも、1世は貧しさにとても苦労されたからこそ2世、3世には優秀でお医者様や弁護士などが多いとも聞く。



彼らもやはり教育の大切さを痛切に感じ子どもたちに最適の環境を準備してあげたのではないだろうか?



教育とは自分への投資でありもっとも目減りがなくリターンの大きいことであるように思う。



日本人の学力低下が指摘されているが、なによりも基礎的な学力はきちんと身につけさせなければならないと思う。




教育の大切さ。



ロシアから亡命され並みならぬ苦労をされた方だからこそ、その言葉には説得力がある。





私がOSU(オハイオ州立大学)を卒業した時、Kさんがどれほど喜んでくれたか。



Kさんはとってもハンサムなおじさんだったけれど、その素敵な笑顔でハグしてくれたことを未だに忘れていない。


奥さんも娘のように可愛がってくれたから、お祝いにと招いていただいたときは、うでによりをかけてごちそうしてくれた。




ご夫妻のおこさんたちの結婚式にも私たちは招かれ、素敵なパーティもいい思い出。




Kさんは残念なことに仕事中に突然亡くなり、私たちもお葬式にかけつけたけれど、あの時は本当に悲しかった・・・




ロシアの家庭のお葬式の作法が分からず、けれどKさんに感謝の気持ちを送りたくて一生懸命祈っていたら、奥さんが心のこもった言葉でありがとうと言ってくれた。


あのときの奥さんの顔もまだはっきり覚えている。




私はあまり記憶力が良い方ではないけれど、アメリカ留学時代の折々の光景はなぜかしっかりと思いだすことができる。



Kさんが眠っていた白い棺。当時おなかに赤ちゃんがいた一番上のお嬢さんが旦那さんに手をひかれてゆっくり歩いていたこと。


そのお嬢さんの結婚式で、Kさんがポルカを踊っていらっしゃったこと。


Kさんのお庭でBBQをして、奥さんが「貧乏人のキャビア」と呼ばれるナスのお料理をふるまってくれたこと。


そういえば、ガラスのテーブルの大きな器においしそうなプラムがたくさん盛られていたっけ。




人間の記憶って不思議



Kさんとのお別れはとっても悲しかったけれど、思い出はあったかい