先日亡くなったスタンフォード大学の石井教授をはじめ、留学時代はたくさんの方に励まされ、導かれ、刺激されました。


私が米国のオハイオ州立大学に入学したのは1990年の9月です。



1990年の1月に結婚、そのまますぐに渡米。


最初は、大学に行く予定はありませんでしたが、せっかく大学があるし聞けば、TOEFLを500点以上とれば、入学ができるということを知り、チャレンジすることになりました。



このとき、夫もよく快く大学進学を認めてくれたな~というか、正直おぼっちゃん、おじょうちゃんだった私たちは生活をしていく意識にも乏しくまだまだ親のすねかじりだったというのが本当のところです。



私自身は短大を終え、2年強OL生活をしたとはいえ、まだまだ社会人としても未熟者。


夫にいたっては、日本の大学を終えそのままスライド式にアメリカの大学院進学ですから、世間知らずも無謀なチャレンジをするときにはプラスに働くのかもしれません。


そもそも結婚を決めたのも、「アメリカに行きたいから」



当時は若かったのであまり結婚を真剣にも考えていなかったし、彼が大学を終わったら留学すると聞いて、それもいいな~と思い、彼の両親もなぜか乗り気になっていたので、そのまま



気がつけば結婚式・・・



でも、私の「アメリカに行きたい」は短大の卒業旅行でお世話になったホームステイ先のお父さんお母さんとの思い出がとてつもなく素晴らしく、アメリカで何かチャレンジしたいという私を見えない力で引っ張ってくれていたように思うのです。



アメリカの両親の優しさと懐の広さに、結婚という未知の世界でもなんとかやっていけるような、がんばっていけそうな勇気をもらっての決断だったように思います。



アメリカでお世話になったキャンベルさんご夫妻は、それこそフレンドリーで優しくて、ジョークが好きで、世話好きで、信仰が厚くて・・・善人を絵にかいたような人。


19歳で、キャンベルさんのような人に出会ったことが、私が「ひとが好き、人から学ぶことが大好き」という人間にしてくれたような気がします。



どんなことでも出会いが肝心。


それまでの人生の中で、初めて経験するような大変なこともたくさんあったけど、実り多い留学時代を過ごせた最も最初の根っこは、キャンベルさんとの出会い。


その後結婚式にはキャンベルさんもロサンゼルスから日本にわざわざ来てくれたたのもいい思いでです。



残念なことに、私たちがアメリカ滞在中にまた何度か会えるね、とおしゃってくれたキャンベルのお父さんは、私たちの渡米後すぐに病気で亡くなってしまいました。


お父さんのお墓参りのほか、5年前には娘を連れてキャンベルのお母さんのところに遊びにいったりと・・・・


時間は過ぎても、あたたかい交流は続いています。