​この話は
中途障がいになった僕の20年の歩みです。


僕は全盲で車いす。


夏休みも終わり僕は栃木の実家から


埼玉にある国立職業リハビリセンターに戻った。


彼女とは別れたが不思議と寂しさはなかった。


国立職業リハビリセンターの仲間たちと


過ごすことがとても楽しくなっていた。


人間同士なので、もちろん合う合わないはある。


でも状況や障がいが違っても


みんなそれぞれ抱えているものがあるから


言葉にしなくても


通じる部分があったのかもしれない。


だから家族といるより、ずっと楽だった。


誰かが落ち込んでいたら誰かが寄り添う


ありがたいことに僕の周りには


自然とそういう仲間が集まっていた。


この時の仲間は僕にとって大切な仲間。


そして、その関係は今も変わらない。


国立職業リハビリセンターの生活は


訓練は9時から17時まで、その後は自由時間。


外出はOKだが、門限が21時半。


消灯22時という一日の流れだった。


土日は完全休み。


土日になると仲間と買い物へ行ったり、


カラオケに行ったり、飲みに行ったりしていた。


※『車いすでの飲酒運転はいけません。byさち』


仲間の電動車椅子の介助用グリップにつかまって


移動したり、聴覚障がいの人に押してもらったり、


それぞれがサポートし合っていた。


充実した生活のなかで、


よくご飯を食べに行っていたお店の


女の子(台湾人)に告白され


付き合うことになったりもした。


こんな感じで国立職業リハビリセンターでの


生活は過ぎていき、2006年5月に退所になる。


退所になる少し前


それなりにパソコンのスキルがついていたので


国立職業リハビリセンターの先生は


僕が就職できそうな企業を探してくれていた。


しかし、全盲で車いすという僕を


採ってくれる企業はなかった。


それでも僕は、地元栃木での就職に


希望をもっていたのだった。



つづく