​この話は
中途障がいになった僕の20年の歩みです。


僕は全盲で車いす。


退院して実家に戻ってから8ヶ月後の10月下旬


埼玉にある国立職業リハビリセンターへの


入所が決まった。


当時この国立職業リハビリセンターで


視覚障がいで車いすという方の入所はあったが


完全な全盲で車いすという入所は例がなかった。


国立職業リハビリセンターの入所期間は1年半。


入所してから半年は生活訓練を行った。


僕の生活訓練の内容は


炊事、洗濯、掃除、爪切り、一人での入浴


白杖を使っての車いすで自力移動などだった。


半年後にはひと通り出来るようになった。


そして残りの1年でパソコンの訓練をし


ワードやエクセルなど出来るようにする。


国立職業リハビリセンターでの生活は


とても充実していたし、楽しかった。


仲間もたくさんできた。


そんな中、(2005年)7月の終わり頃


当時付き合っていた彼女から


久しぶりに電話が来た。


彼女は自分が本当に


僕のことが好きなのかわからない


という電話だった。


8月に入ると国立職業リハビリセンターは


夏休みに入るため、僕は栃木の実家に戻る。


その時にちゃんと話をしようと伝え電話を切った。


そして8月、実家に戻った僕は


話をするために彼女と会った。


彼女は、僕とこのまま付き合っていくことへの


不安や悩みを打ち明けてくれた。


僕は病気が原因で将来結婚しても


子供を持つことができない可能性が高かった。


子供の好きな彼女にとってそれはとても


重要な問題だった。


全盲で車いすという僕がこれから先


仕事に就くことができるのか。


彼女は障がい者施設で働いていることもあり


僕との関係が仕事の延長に


なってしまうのではないかと思う


自分が嫌だと・・・。


「ごめん」と言いながら彼女は泣いていた。


彼女と僕は同じ歳。


高校は違うけれど


高校3年の時から付き合っていた。


付き合って5年の月日が経っていた。


もし僕が病気になり障がいを持つことがなければ


僕はこの彼女と結婚していたのだと思う。


でも状況は変わってしまった。


僕が障がいを持ってしまったことで・・・。


彼女もまだ若いし、まだまだ色んな可能性がある


そんな彼女を引き止めることも責めることも


僕には出来ない。


これから先、彼女には素敵な出会いが


あるに違いないのだろうから。


彼女には幸せになってほしいと心から思った。


そして、僕たちは別れた。


僕は、彼女に感謝している。


僕が倒れたあの日


彼女が僕の看病にきていなかったら


僕はきっと死んでいたはずだから・・・。


彼女は僕の命の恩人なのだ。


この別れからずいぶん経った頃


風の噂で聞いたのだけれど


その彼女は結婚して、子供も数人いて


幸せに暮らしているらしい。


本当に良かったと僕は心から思う。



つづく