​この話は
中途障がいになった僕の20年の歩みです。


僕は全盲で車いす。


カンファレンスが終わった数日後


僕はまた原因不明の高熱に見舞われた。


解熱剤を処方され、様子をみていたが


一向に熱が下がらない。


原因を突き止めるため血液検査や尿検査が


行われたが、血液検査で炎症反応が


出ているものの、どこからの熱なのかが


全くわからなかった。


僕の診察をしていた主治医があることに気づいた。


僕は千葉の病院で仙骨部に褥瘡の


初期の状態があり処置がされていたことに。


主治医は仙骨部の褥瘡を診るが表面上は


比較的きれいだった。


褥瘡部分を触診した主治医は違和感を感じ


僕の了承のもと褥瘡部分を切開した。


腰から下の感覚がない僕は


麻酔なしで切開されても痛くはない。


褥瘡は男性の拳が一つ入るくらいの


ポケット状になっていて仙骨の先端部分が


腐りはじめていた。


とりあえず一時的な処置が行われた。


主治医からは褥瘡の状態から自然治癒だと


一年以上かかるが、仙骨の先端が


腐りはじめていることもあり


手術をした方が良いと説明された。


僕は手術をすることを決め


数日後、手術が行われた。


僕はこのあと、1ヶ月に及ぶうつ伏せの生活を


送ることとなったのだった。


この病院には7ヶ月入院していたが


入院生活の中で、この1ヶ月に及ぶうつ伏せの


生活が身体的に一番辛かった。


昼間はうつ伏せのみ。

(自分で少しだけ身体を動かせたので)


夜間は2時間ごとに体位変換。


うつ伏せ、右側臥位、左側臥位。


その頃、バルーンカテーテルも入っていたので


仰向けになれない僕は


バルーンカテーテルの向きを変えるとき


膝をついたまま前腕で身体を支えるため


体力のない僕にはかなりきつく


それも2時間おきだったので


ほとんど眠れなかった。


食事もうつ伏せのままだった。


この時の生活はもう二度としたくない。



つづく




いつも僕の重い話を読んでくださっている皆さんに
ちょっとおまけの話です!
クスっとして頂けたら嬉しいなぁおねがい


褥瘡の手術をしてすぐ昼食にうどんが出てきた。


看護師さん 「今日のお昼はうどんだよ」


と言って配膳し病室を出て行った。


うどんはてなマークはてなマークはてなマーク


うつ伏せでどうやって食べるのはてなマークはてなマークはてなマーク


汁入ってるし、うつ伏せだし、目見えないし…


たまたまその時、従兄弟が面会に来ていたので


食べさせてもらうことになった。


従兄弟 「はい、のぶ、あ〜ん」


のぶ 「う、うんタラー


と僕は口を開け食べさせてもらう。


いくら目が見えないとはいえ


従兄弟の「あ〜ん」はきついニヤリ


せめて彼女がいるときに


してくださいよぉ爆笑爆笑爆笑


と思う僕なのでした。


その日以降、おにぎりにしてもらえるよう


頼んだのだった。