この話は
中途障がいになった僕の20年の歩みです。


僕は全盲で車いす。


姉(次女)に僕の病気について聞いたが


「ただの風邪」と言われても


僕はどうしても納得できなかった。


僕は別の日に今度は姉(三女)にも聞いた。


姉(三女)の答えも「ただの風邪」だった。


「○○(次女)も言ってたでしょ」と。


結局、家族からも担当医からも


病名も詳しい説明も聞かされることはなかった。


なぜ隠す必要があったのか今でもわからない。


僕の不安な気持ちを理解してくれることも


聞こうとしてくれることもなかった。


だから僕は病気ついて聞くことをやめた。


そして、また新たな恐怖が襲いかかってくる。


目覚めてから1ヶ月ぐらい経った頃


元々悪かった目だが、以前より何となく


見えづらいと感じることが増えていった。


ある日、そのことを看護師さんに伝え


担当医を呼んでもらい相談した。


担当医には


「これ以上、目が見えなくなることはないと思う」


と言われたが、僕は何もしていないのに


何でそんなことが言えるのかと疑問に思った。


次の日、別の医師が病室に来て僕の目に


ペンライトを当てたりしたあと


「あー視覚障害だわこれ」


と吐き捨てられるようにあっさりと宣告し


その医師はすぐに病室を出ていった。


何の心の準備もない僕にとってその言葉は


凶器のように僕の心に刺さった。


その宣告から2、3日後


母親が久しぶりに面会に来た。


その夜、僕は泣きながら母親に


「俺、視覚障害だって・・・」と伝えた。


母親は泣いている僕の手を握り


母親 「大丈夫よ」


のぶ 「・・・うん」


母親 「頑張ろうね」


のぶ 「・・・うん」


母親のどちらの言葉にも「うん」としか


答えられなかった。


僕は泣きながら心の中で思っていた。


『何が大丈夫なの?』『何を頑張るの?』と。


そんな言葉はいらなかった。


何も言わなくてもいい。


ただ寄り添ってほしかった。


何の整理もできていない


何も受け入れられていない僕に


『頑張ろうね』という言葉は酷だった。


そしてまた僕の気持ちは行き場を失った。



つづく