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このブログを始めてから2ヶ月が経ちました。

僕は全盲で車いすです。もしかしたら、「なんで全盲で車いすなんだろう」と思っていた方も多いかもしれないと思い、今回はなぜ僕が障害を持つことになったのかをお話ししてみようと思います。


それは今から19年前の2003年のことでした。

僕が障害を持つ原因となった病気の病名は

『急性散在性脳脊髄炎(きゅうせいさんざいせいのうせきずいえん)』といいます。

急性散在性脳脊髄炎とは、脳、脊髄の神経に炎症が起きて神経の被膜が傷つき、中心部分がむき出しになってしまうことで、さまざまな症状が出る病気です。

まれな病気で日本の全国的な調査(2004〜2007)による罹患率は、人口10万人あたり0.8人で、子供に多い病気です。僕は21歳のときでしたが成人の発症は「極めてまれ」だそうです。

ウイルス感染やワクチン接種後に起きることが多いとされていて、重い後遺症を残す場合も多く、死亡率も高い疾患らしいです。僕もお医者さんからは、助かったとしても8割の確率で脳に障害が残るか、最悪植物人間と言われていたそうです。幸い僕は脳に障害が残ることはありませんでした。


原因がはっきりとしない場合もありますが、多くの場合はウイルス感染やワクチンが引き金となります。免疫力が高くなりすぎて、自分自身の体を攻撃してしまう現象によって、脳や脊髄、目などの神経を傷つけてしまうことで発症すると考えられているようです。僕の原因となったとされるのはヘルペスでした。


症状としては、頭痛、吐き気や嘔吐、発熱などがあります。重症になると、手足のしびれ、けいれん、歩きにくい、意識がもうろうとする、目が見えにくい、感覚が鈍いといった症状や行動異常、話ができなくなるなどの症状が出てくることもあるようです。実際に僕の症状としては、一定間隔での頭の痛み、高熱、体のだるさ、意識がなくなるといったことがありました。


同じ病気でも症状や後遺症はさまざまなようです。

ただこの病気は成人の発症が極めてまれなことから診断が遅れることもあるのかもしれません。

僕の記憶には残っていないのですが、倒れるまでに3度、病院を受診していたということでした。そのときの病院での診断は「ただの風邪」でした。

僕は発症してから8日目に倒れたことで入院になり、そこから2ヶ月近く意識がない状態でした。

あとから知った話ですが、その2ヶ月近い間に、僕の心臓は2回止まったそうです。


その後、お医者さんや看護師さん、家族、その他のたくさんの方々のおかげで、僕の意識が戻ったときには、まだ今の障害だったわけではなく、そのときはまだ僕の目は見えていました。

治療やリハビリなどで回復していったところもあれば、そこから徐々に失っていったものもありました。


僕の急性散在性脳脊髄炎は重度でした。

今こうして僕が生きていられるのは奇跡だそうです。

この病気に有効とされるステロイドのパルス療法によって改善されたこともありますが、運動障害、視覚障害、排泄障害、体温調節が難しいなどの障害が残りました。


障害を持ってから19年になりますが、ほんの1〜2年前までは自分の障害と向き合うこともできず、障害を恨んでいました。

でも今は違っていて障害を持ったことに感謝している部分もありますおねがい

今までの19年間のこと、そしてこれからのことも少しずつお話ししていきたいと思っています。

もちろん今まで通り、僕の生活の中で起こる、くすっと笑ってもらえるようなお話もしていきます。


今回はかなりの長文になってしまいましたが、ここまで読んでくださってありがとうございましたおねがい