白人が先住民に行った虐殺の歴史  アメリカ | Nobby のサーフ&グルメ

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インディアンはヨーロッパの風土病に対する免疫を持たなかったために、ヨーロッパ人と接触したインディアン達はしばしば容易にヨーロッパからの伝染病に感染し倒れた。
インディアンの人口は激減し、深刻な打撃を被った。
また、白人が病原菌の付着した毛布などを贈って、故意に伝染病に感染させようとした事実が歴史に記録されているという。
 
インディアン絶滅政策
19世紀になると、「インディアン強制移住法」を制定したアンドリュー・ジャクソン大統領によって、「保留地制度に基づく強制移住に従わないインディアン部族は絶滅させる」とする「インディアン絶滅政策」が推し進められた。
 
南東部での「セミノール戦争は、白人とインディアンの国家間戦争としては最大級のものであった。
アンドリュー・ジャクソン大統領は、この戦いにおいて焦土作戦による徹底殲滅を図った
セミノール戦争は現在、「インディアンのベトナム戦争」と呼ばれているという。
 
 
チェロキー族の涙の旅路
1838年10月から1839年3月にかけてのチェロキー族の強制移住がある。
これはインディアンの領地で金鉱が見つかり地価が暴騰し、それに目をつけたアンドリュー・ジャクソン大統領が「インディアン強制移住法」を定め、アメリカ南東部に住んでいたチェロキー族とセミノール族、チョクー族クリーク族現在のオクラホマ州オザーク高原近くに移動させたというものである。
 
厳しい冬の時期を陸路で、しかも多くの者は徒歩で1,000kmもの旅をさせられたために1万2,000人のうち8,000人以上が死亡した。
のちにインディアンの間では、この悲惨な事件を「涙の旅路(Trail Of Tears)」と呼ぶようになった。
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ナバホ族の涙の旅路
1862年、キット・カーソンによる殲滅戦に降伏したナバホ族も、300マイル(約483km)以上離れたボスケ・レドンドという灼熱不毛の地に徒歩で強制移住させられた。
 
険しいサングレ・デ・クリスト山脈を越え、ニューメキシコ州をほぼ完全に横断するかたちのこの旅路はロング・ウォーク」と呼ばれる。
彼らはそこで農耕を強制されたが、やせた砂漠の土地での農耕は不可能であった。
 
ララミー条約の反故
1868年、米国政府はスー族ララミー条約によって、サウスダコタ州にあるスー族の聖地ブラックヒルズは永久にスー族のものであると確約した。
しかし、ジョージ・アームストロング・カスターがブラックヒルズに金鉱を見つけると、開拓者が金を求めてブラック・ヒルズに侵入し、条約は破られた。
 
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1890年のウンデッド・ニーの虐殺
絶望的な状況に置かれた西部のインディアンの部族には、ゴーストダンスを踊ることで平和なインディアンの国が還ってくるというゴーストダンス教が大流行した。
信じるものは銃弾も効かないとされるこの宗教を恐れた白人は、ゴーストダンスを禁じた
 
スー族のゴーストダンス指導者キッキング・ベアを含むビッグ・フット酋長の一団をサウスダコタ州のウンデット・ニーに連行した。
インディアンの話では、一人がナイフを持って手放さなかっただけで200人以上が虐殺されたという
1890年12月29日のことである。
これらの虐殺により、連邦政府とインディアンによる戦争は終結した。
最終的には推定1000万人いたインディアンは白人の直接・間接的虐殺により実に95%が死に絶えたという。
ここにアメリカ人のフロンティアは消滅した。
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同化政策
「アメリカのフロンティア」が消滅したのち、白人はインディアン問題を処理すべく、その同化に注力し始める。
豪州アボリジニ日本アイヌ、極北のエスキモー中国の少数民族等と同じく、支配民族による同化政策は、北米においても19世紀末から組織的に行われた
 
インディアン児童福祉法令
インディアンのコミュニティーを根本から破壊し、自殺率の増加など深刻な問題を引き起こしている無意味な「里親制度」である。
これは、貧困のため生活困難と州が認定したインディアンの家庭から、出生前に選定して強制的に取り上げ、実の親を知らさないまま白人の家庭で育てるというものである。
もちろん、インディアンとしての文化や歴史は一切教えられることはない。
 
やがて物心ついたこの子供たちは、「自分はインディアンでも白人でもない」というアイデンティテの喪失に苦しみその結果、ほとんどが10代のうちにアルコール依存症になるか自殺してしまうという悲劇を生み続けている。
 

 
ネイティブ・アメリカン
ネイティブ・アメリカン(Native American ネイティヴ・アメリカン)とは、アメリカ合衆国の先住民族の総称である。 
アメリカインディアン」はこの呼称を公式に承認しておらず、彼ら自身は1977年にスイスの国連住民会議に代表団を送り、満場一致で「我々の民族名はインディアンである」と公式に議決表明している。
 
近年、日本のマスコミ・メディアにも見られる、故意に「インディアン」を「ネイティブ・アメリカン」、と言いかえる行為は、「インディアンという民族」を故意に無視する行いであり、民族浄化に加担している恐れがある。
「ネイティブ・アメリカン」という用語に対し、「アメリカに最初にいた民族」としての「インディアン」の呼称に誇りをもつインディアンたちは、これを自称し、その名称を替える事自体がごまかしであり、差別的であるとしている。
 
参考: ウィキペディア・インディアン   
     ウキペディア・ジョージ・アームストロング・カスター