何がいいかは、数年後に出てきます
トップ選手の2時間と、初心者の2時間とでは、
練習の質も強度も内容も変わります。
時間という平等の中で、時間での練習時間を考えた時、
1か月単位での基準にすることが望ましいと、個人的には思います。
そして、義務教育機関では、一つの競技に特化しないことも、
必要だと思います。
例えば、1時間目から4,5時間目までに体育、専門教科をいれない。
体育、専門教科は、5・6限目にする。
そこに20時間の専門指導員を配置する。
そうすると、5教科の教員は、午後の時間で出来ることが増えます。
体育、専門教科の教員は、20時間なので、午前中に出来ることが増えます。
曜日によっては、5時限目と7時限目を作れば、
1週間、もしくは1か月単位で調整できます。
専門委員の出勤日を、土を含んだ5日間にすれば、平日休みにできます。
その1日は、足りていない教科の予備日にすれば、
調整できます。
僕らの時代は、土曜日が半日学校でした。
今は、なんか授業を詰め込んでやって、
部活や塾、習い事に、忙しい子どもたちが多くいるんじゃないかと感じます。
好きなことや頑張りたいことにかける時間は、
部活にしても、塾にしても、習い事にしても、
いいと思います。
実はゆとり世代が、世界で戦える世代だと思います。
日本は、ゆとりという最強の時間を作りました。
せわしなく詰め込み、トップがいない教育よりも、
ゆとりをもって、トップで戦える人がいる教育の方が、
もしかしたら、いいのかもしれません。
何がいいかは、数年後に出てきます。
田中信雄