ひさびさのアップです。


今、村上春樹さんの『ねじまき鳥クロニクル』に、はまっていて、

ちょっと、PCから、離れていました。


のんびりペースのブログですが、どうぞお付き合いください!


PCやスマフォの前のあなたが、読んでくれる事を、たいへん、楽しみにしています!



病院の、個室でカギがかけらている、『独居房』で、わたしは、しばらく過ごしました。


鎮静剤らしきものを、うたれてから、わたしは、少しおとなしくなったのですが、


最初に目覚めた時、『独居房』の独特の雰囲気にとても、恐怖を感じました。



出入り口の窓には、鉄格子があり、反対側の壁は、一面アクリルで、できていていました。


なぜが、その状況は、私に、ナチスの毒ガス実験室を、思い出させたのです。


とてつもない、恐怖感におそわれ、看護師を大声で呼び、入口を足で蹴飛ばしました。


何時間も、誰もこなかったように感じたのですが、看護師が来た時は、ほっとしました。

食事をもってきてくれた時だったと思います。


コッペパンと簡単なおかずと、紙パック入りの飲み物だったと、

思いますが、良く味わって食べました。


後から思うと、食事にパンが出るということは、朝食だったのだと思います。


昼食と夕食は、白米と、朝食よりは、ボリュームのある(だけど、ヘルシーな)、おかずが出ていたはずです。


・・・・・・・・・・・・・・・。


2日間位、『独居房』にいたのでしょうか。


やることがなかったので、ほとんど覚えてないのです。


ヒゲの伸び具合から見て、それぐらいではないのかと思いました。



『独居房』から出された時は、とても解放感を感じました。


4人部屋に移されて、部屋の出入りは自由です。


そのフロア内も自由に歩きまわれました。



でも、それは、8か月間という、長い、長い入院生活の始まりでしかなかったのです。



(今回は、地味な内容になってしまいました。)

次回につづく


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留置所から出された僕は、3人の警察官に連れられて、

T市のJ病院に連れていかれました。

私の様なものに、3人も警察官が付いてくるとは、大層なことです。

バンタイプの車に乗せられて、数十分走りました。


病院の待ち合い室でも、3人の警察官にかこまれて、椅子に座っていました。

思いだす限り、その病院に警察官に連れられて、来た患者は、見たことがありません。

よっぽど、私の病状は、重かったのかもしれません。


数十分して、警察官に、つれられながら、

診察室に行きました。


そこには、今では、おなじみとなった。私の担当医の先生が座っていました。

すぐに注射器をもってきて、私に打とうとしました。


警察官に囲まれていた私は、さすがにおとなしくしていたのですが、

『この注射は、何!?』と思い、

「何を打つんだよー!!!」と、

失礼な態度でいいました。

先生は、小声で、「栄養剤ですよ」と、軽く微笑んでいいました。


その後、私の両親が連絡を受けていたようで、

診察所の奥から出てきて、いっしょにエレベーターに乗りました。

私を安心させようと思って、笑顔を作っていたのを覚えています。


しかし、あらゆることを、信じられなくなっていた私は、

エレベーターの中で、

「俺は、気が短いからな~、何するかわからないぞ」と、

言っていました。

(まるで、ヤクザでした)


エレベーターで上の階まで、乗せられ、両親とは、エレベーターでわかれ、

個人室に、つれていかれました。

(後で、分かったのですが、その個人室は、看護師の言う事を

聞かない人が、閉じ込められる、通称独居房と言われるところでした)


先生が打ったのは、実は鎮静剤だったのでしょう。

私は、じきにおとなしくなり、看護婦さんに、

ねまきに着替えさせられました。

『看護婦さんのパンツが見えそうだなぁ』と思って、おとなしく言う事をききました。


次回につづく

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あけましておめでとうございます。


(ちょっとおそいですよね・・・)



あなたの年末年始は、いかがでしたか?


私は、暴飲暴食で、少し調子をくずしていました。


では、はじめます!



2人の警察官に、連れられて、私は、外にでました。


ここは、完全におかしくなった所をみせようと思って、


パトカーの近くで、地面に寝ころび、バタバタと手足を動かしてみせました。


警察官は、始終落ち着いていて、おかしそうな私をみても、

あわてず、パトカーに乗せていました。


(私のように、保護される人も、たまにいたのでしょうか)



行き先は、市内の警察署でした。


最初に、名前や、住所を聞かれたのですが、


両親に面倒をかけるのが、いやで、とっさに、嘘の住所を言いました。

(名前は、本名を言いました)


その後、私は、留置所に入れられました。

(もちろん、初めての経験です)


留置所は、六畳位の広さで、壁は、クッションの様なもので、


覆われていました。そして、和式の便器がありました。


扉側は、一面、アクリル板で、できていました。



病院編(その前に・・・Ⅰ)で、書いたように、


中学時代の友達の悪口が、頭に浮かびました。


また、大学時代に好きだった人(Uさん)も、浮かびました。



一晩中眠れず、壁を蹴飛ばしたり、なぐったりしていました。

(中学時代の友達の妄想と、戦っていました)


私の様な人のために、壁は、クッション性のもので覆われているのかもしれません。


なぜか、合間に、ビートたけしさんの「コマネチ」や、「ナハナハ」

を、していました。

(それは、楽しい妄想で、Uさんと仲良く、じゃれあっている状況でした)


10月でしたが、留置所内は、暖房が、かなり効いていて、喉が無性に渇きました。



水道は、留置所内の一角に付いていたのですが、


新幹線の、飲料水の様な感じで、壁のなかに、


ちょろちょろと流れるような仕組みになっていました。



たまに、手ですくいながら、飲みましたが、


ゴクゴクと飲みたくてたまりませんでした。



アクリル板の、出入り口を蹴っとばし、


コップをもってきてもらうために、


「お~い、お~い」と、さけんでいました。



しかし、一晩中だれも来ませんでした。



・・・・・・。



朝になり、朝食の弁当を、警察官がもってきました。


お腹は、さほど空いてなかったと思うのですが、


とにかく、水が、飲みたくて、弁当のフタに、水をくみ、飲み干しました。


なんだか、とても、みじめな気持ちで、しょうがなかったです。



一言、「僕、みたいだな」、、、とつぶやいたときに、

お迎えの警察官が来ました。



『一言、書かせてください』


今日の夕方、友達からの知らせの電話で、


共通の友人が亡くなったことがわかりました。


東京で生活保護をうけながら、一人暮らしをしていたのですが、


「てんかん」の発作を、風呂の最中におこし、溺れて亡くなったそうです。


目と、声がきれいな、女性で、30歳の若さでした。


さきほど、ユーミンの「卒業写真」を聞きながら、


彼女のことを、思い出していました。


ご冥福をおいのりします。



次回につづく


次回と、私の友達のために、プッシュおねがいします。

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