おはようございます

心屋認定カウンセラーのぶやんです

 

 

 

小さな頃から

父親に怒られるということが

 

 

僕の心の中では

とても大きな「恐怖」でした

 

 

毎日イライラして

気に入らないことがあれば

手を出される

 

そうならないよう

いつもビクビクしている

 

 

その印象が残っています

 

 

 

 

その小さな頃の「恐怖」は

今も心の中に住み続けています

 

 

 

今もなお

「怒られる」ということが

ものすごい「恐怖」なんですね

 

 

 

怒られた瞬間から

とんでもない「罪悪感」が襲ってきて

他に何も手につかないぐらいです

 

 

 

頭では

「そんな大したことない」と

分かっていても

 

 

 

心はものすごく

大袈裟に取っている

 

 

それが苦しい

 

 

 

怒られても

何にも気にならない人が

ホントにうらやましい

 

 

 

そう思います

 

 

 

で、

 

何なんだろうなぁこの恐怖

何でここまで自分を責めるんだろうなぁ

 

 

 

って思うことがありました

 

 

 

そこで感じたことは

合っているかどうかは

分かりませんが

 

 

 

子供にとって

父親から暴力を伴う叱責を受けるって

 

 

 

「この世にいられない」

「死ぬかもしれない」

 

 

 

っていうぐらいの「恐怖」だったのかなぁと

 

 

 

心はそう捉えていたのかなぁと

思うんですね

 

 

 

怒るって

「許さない」という意思表示でもあるので

 

 

自分の存在が

生きていること自体が

「許されないんだ」

 

 

 

そう感じても

おかしくないなぁと

 

 

 

 

 

怒られると

生きていることが許されなくなるから

 

 

みんな怒られないように

自分が生きていてもいい存在であるために

頑張るんだろうなぁと

 

 

思います

 

 

 

 

 

でも、大事なことは

 

 

どれだけ「許さない人」がいても

生きることを「許されていない人」はいない

 

 

「罪人」などいない

 

 

ということを知ることです

 

 

 

小さな頃は

「自分は罪人だ」と勘違いするぐらい

大きな恐怖だったかもしれない

 

 

でも大きくなった今は

たとえ怒られたとしても

 

 

息も吸えるし

食べたいものも食べれるし

寝れるし

 

 

何の問題もなく

生きていることができます

 

 

つまり

 

怒られたからといって

息を吸わしてもらえないなんてことは

当たり前ですがなくて

 

 

むしろ

 

生きていることを

許されている

 

 

そして

 

 

罪人ではない

 

 

ということなんですね

 

 

 

大きく息を吸って

あー生きていられるんだ

 

 

あー許されているんだ

 

 

食べ物を食べて

あー生きていられるんだ

 

 

 

あー許されているんだ

 

 

 

それを何回も何回も感じて

「自分が罪人などではない」と認識し

「大丈夫」と安心する

 

 

ということを

これからやっていきたいなぁ

 

 

そう思いました

 

 

 

どうなるか分かりませんが

取り組んでみますよー(^◇^)