打ちのめされるようなすごい言葉

打ちのめされるようなすごい言葉

ブログタイトルはパクりました。w読書好きにかたならわかるかもしれません。このブログの意図は、私の日本語能力の向上(文字を打つことによって)、読書の記録、学習記録、自己満足でございます。あしからず。

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戦争、紛争は自分たちには無関係なことなのだろうか。

多くの日本人は戦争を身近に感じることなく、漠然と戦争というものを捉えていると思うし、自分も例外ではない。

三崎亜記著の『となり町戦争』を地元の中古本屋で購入し、先日読み終わった。

小説のなかで、主人公の住む町は隣町と戦争を始める。開戦日、町に変化のようなものが訪れると考えた主人公だったが、実際はいつも通りの一日で少し拍子抜けしてしまう。

それでも、戦死者の数は日々増えていき、見えないところで戦争は確実に進行していく。

役場の依頼で情報要因としてこの戦争に関わることになった主人公は、戦争に加担している実感を得ることなく終戦を迎える。

戦争の音は、五感を使って、耳を傾けないと感じることができない。

そして、私たちは知らないあいだに戦争に加担しているのかもしれない。

無関係に思えた、戦争が実は広くこの世界の隅々まで染み込んでいるという事実を忘れてはいけない。

そんなメッセージをこの小説から感じとることができた。

今日も、どこかの国で銃声が鳴り響き、命が奪われ続けている。

平和とか、正義とか、難しいことはわからないけれど、見えないところで誰かが殺され、また自分も加害者である可能性を直視しなくてはいけないと感じさせる一冊だった。

欲を言えば、もう少し内容が濃くてもよかったのだが。笑

昨日の話。

友達とマクドナルドで将来について話し合っているとき。

『ま、しょせん筍の背くらべだよね』
ドヤ顔の自分

『え、どんぐりじゃなくて』

『。。。。失笑』

自分の日本語能力の低さを改めて痛感。

これって生まれつきの言葉に対する敏感さが関係しているんでしょうか。
はたまた、みんな勉強してこういった言葉を使いこなしているのでしょうか。

わからない。

別に筍でもいいじゃないか、伸びるのが早いのだから、背くらべもしたくなるはず。という自分の大雑把さがいけないのか。

筍について考えているうちに、次第に筍絡みの言葉に興味がでてきたのたので調べてみた。

以外といっぱいある。

  • 筍生活(たけのこせいかつ)
    たけのこの皮を一枚一枚はいでいくように、衣類や家財を売りながら生活費にあてるような暮らし。
  • 竹の子(たけのこ)の親まさり
    〔補説〕 たけのこは生長が早いことから 
    子が親よりもすぐれていることのたとえ。
  • 筍医者(たけのこいしゃ) 
    〔補説〕 藪医者にも至らぬ医者の意 
    へたくそな医者。
  • 雨後の筍(うごのたけのこ)
    〔補説〕 雨がやんだあとに筍が続々と生えることから
    似たような物事が次々と現れ出ることのたとえ

はて、ことわざも勉強しようと思い至ったわけだが。

まず、なにをすればいいのやら。


始めての記事を書く。

正直言って、文章を書くことにはまったく自信がない。これまでの人生で、自分に文才があるなど思ったことは一度もないし、自分とはそういう人間なのだと諦めていた。

が、しかし
なにも努力していないじゃないか。
そんな当たり前のことに気がつき、文章力上達の道を模索する。

手始めに書店で、かの有名な池上彰氏の著書『伝える力』を仕入れて読んでみる。
なるほど、さすがわかりやすさに定評のある著者、大変に説得力があり参考になった。がしかし、知識は多少ついたであろうがなにも変わらない。
それもそのはずである、英語だって文法書にかじりついても上達はしない、インプットと適度なアウトプットが上達には必要なのだ。

というわけで、ブログを始めることにした。文字を書くことで自分の文章力上達を願って今日から不定期で更新していこうと思う。