ふと、
「なんで、貴方は先にいってしまったの?」
「なんで、わたしを置いていったの?」
ってことは、
自分は生きる前提の思考
なんだか、都合がいい。
では、果たして、
「生きていること」が、自分にとって、
「都合がいいんだろうか?」
私の場合は、
主人が早々と天国に逝ってしまったという事実
自分の生きている間に起こった。
このことがきっかけになり、「生身の体を使って生きることは特段幸せでもないな」という思考が生まれた。
それまでは、「命を生きること前提の幸せ」を考えていて、命そのものに幸せだと感じることはなかったかもしれない。
あれもしたい、
これもしたい、
それもしたい、
もっともっとしたい
なんかの歌詞みたいに、動く体があり、考える(不足気味の)知能があり、相手に伝えるための声があり。当たり前すぎて。
しかし、突然、
命の裏表の世界を知ることになったので、
「生きること」がとても曖昧に思える。
動く体があっても、知覚や知性があったとしても、結局「自分は幸せだ」と認知出来なければ、生きているとは言えないな。
とすると、
今の私は幸せではないな。