#どうする家康のここが好き | NobunagAのブログ

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さて、どうする家康も

第8回までが放送された。


1/6が過ぎたところだ。


個人的には毎週楽しみに観ており、

昨年同様、日曜日の夜が

待ち遠しい状況になっていて

ありがたいことである。


ジャニーズである松本潤さんが

主演ということもあって、

放送する前から批判する声が

あったりとか、

ドラマが始まってもわざと

作品を貶めることを書いて

楽しんでいるつまらない

アンチがいるのは残念なことだ。


イケメンが出るからって

スイーツ大河とは限らないのに、

そうやって決めつける

僻み根性が恐ろしい。


今日は俺がどうする家康の

どこを気にいっているのか

まとめてみる。




・人間味のある若い家康


家康といえば天下泰平を

築いた有名な戦国武将。


英雄であると同時に

偉人であるとも言える。


こうした人を主人公にする、

となるとどうしても

子供の頃から博愛主義者で

利発な少年…といった

安易な設定になりやすい。


よくある


「正義感あふれる若者」


に描きがちだ。


しかし本作の家康は、

どちらかというと

温厚で優しいところは

持っていながらも、

別の面ではワガママだったり

自分の立場への驕りから

失敗をしてしまう。


また、信長のことを

過度に恐れるあまりに

言いなりになってしまいがち。


人間として、ともすれば

かっこ悪く、情けないと

マイナスに捉えられそうな

一面もしっかり描いている。


つまり若い頃から、

パーフェクトな人間ではない。


どこにでもいるかもしれない、

そんな弱さを持った、

普通の若者としてスタートする。


考えてみれば当たり前のことで

誰でも理想は持っていても、

最初からそれを体現できる

能力まで持っているわけではない。


本作はそうした「人間」としての

家康に目を背けずに、

強いところも弱いところも

しっかり描いている。


これまでの家康のイメージとは

もちろん違うかもしれないが、

生まれたときから「神君」な

わけでもなければ、

「狸親父」のわけがない。


そして、現実にありえないような

絶対正義の博愛主義者でもない

普通の若者として描いている

ところに好感が持てる。





・いくさは嫌でございますを連発しない


武士とはまず戦うものである。


これは武士というものは、

古来から土地を守り、

また奪い取ることを

生業としておりそれが

一族郎党の生活の安定に

つながるのだから、

仕方ないことだ。


つまり、彼らの仕事である。


現代の倫理観から判断し、


「どんな理由があれど

いくさをする人は悪人」


といった描き方をするなら

じゃあ戦国時代をテーマに

する必要がないだろう、

という話である。


しかし、主人公側を善人に

見せたいがために、

この失敗をするドラマは

わりとある。


もちろん家康がたどりつく

ゴールそのものは史実でも、

いくさがなくなる未来なのだし

やがてはいくさをなくすために、

ハッキリとした目的を持って

戦うことになるとは思う。


だが、少なくとも彼らが

直面している現実はまだ


「いくさが当たり前にある時代」


なのであって、

どんな善人であっても

いくさが必要であれば

武器を取ってきたことは

歴史そのものが、証明している。


これは正しいとか、

正しくないという

問題ではない。


鎌倉殿の13人でも

いくさの達人である

畠山重忠が


「いくさなど誰がしたいと思うか!」


と大声で叫んだが、

その直後にはしっかりと

切り替えて死力を尽くして

いくさに臨んでいた。


これがまさに武士のあり方でもある。


現実に我々だって、


「仕事などしたくない!」


が本音だとしても、

必要だからやるのであって

やるときにはやり遂げることが

求められる責任である。




いくさが大嫌いな正義の

主人公とそれをわかろうとしない

悪人たちとの戦い…


そんな簡単な図式が

戦国時代にあるはずがなく、

誰もが必要だからいくさという

手段を選んでいたということ。


本作の家康も戦うことを

怖いとは思っても、

正義のためにという理由では

嫌がったりはしていない。


それどころかいざとなれば

暗殺という手段も選ぶ

くらいにちゃんと

戦国の男として描いている。




・家臣達の距離感が良い


この時代は江戸時代と違い、

家康はまだ地方の大名、

それも国内の統一すら

出来ていない

新興勢力のひとつに

すぎない。


家臣達はいるけれども、

彼らは家康のワガママが

ひどければ意見もするし

絶対服従しているわけではない。


これを


「こんなに距離が近いのは

ホームドラマ的でおかしい」


と批判する人もいるが、

この頃の家臣達というのは

何も家康のカリスマ性に

惹かれて家来になった、

とかではない。


あくまで三河衆という

武装勢力のリーダーの家の子、

というのが家康である。


その若い彼をこれから

どうやって盛り立てつつ

自分たちの生活も

立ち行くようにしていこうか?

というのが家臣達の

置かれた状況である。


創業の臣というのは、

その意味では家来というより

仲間、という意識が

強くあっただろうから

今の家康と家臣達の距離感は

おかしな描写ではない。


それどころか殿なので

言うことを聞け!と

言いたがる若い家康に

困った殿じゃ…、

そんなこと言ってると

周りに離反されるぞ!と

感じている家臣達、

という今の構図は

ちょうどいいくらいだ。




・ビジュアル表現が斬新


巨大すぎるように見える

清須城や本證寺が

批判されがちなのだが…


今回、CGも多用されているが

その表現に関しては


「地域やその城などの特色が

わかりやすいように、

ある程度は誇張している」


というのは制作側も

認めているところではある。


が、これが間違っているかというと

あながちそうでもない。


例えば清須城に関しては

そもそも今知られている

城とは違っていて、

唐風の建築を取り入れた

今よりも大きな城だったと

されている。


また、ドラマの描き方として

実物の描写よりも


「家康からどう見えたか」


というインパクトのほうを

重視している面もあるため

より巨大に見えるように

映していると思われる面もある。




本證寺に関しては、

もっと明確で

時代考証の平山先生によると

当時は東京ドーム2個分の

広さを誇っており、

岡崎城よりも大きかった

可能性すらあるという。


その寺内に街が築かれていて、

交易が行われていたのだから

ひとつの勢力といっても

過言ではない。


そうなるとドラマの表現は

まったくおかしくない。


つまりこうした、

最新の研究による裏付けを

見たときにはこれまで

我々が思い込んでいた

ことのほうが、

間違っていた恐れもある。


それだけ大きくて

城郭まで備えていたら

いくら攻めても簡単に

落とせないというのも

よくわかる話だ。


むろん、それでも

ドラマとしての誇張は

あるとは思う。


が、完全に的外れなものを

好き勝手に描いている、

ということではなく

最新の研究に照らし合わせて

ドラマとして画面に映える、

ギリギリのラインを

狙っているのではないだろうか。


だとすればこのチャレンジは

決して非難されるべきではない。


また、CG全般に関しては

これまでNHKが懇意にしてきた

ウクライナのスタジオが

戦争のために協力できない、

という状況にもなっている。


そうした中で可能な限り、

頑張っているスタッフのことを

なんでも批判するのは、

またおかしいと思う。


また、初期に批判が集中した

馬のCGも撮影で馬を

傷つけないためという

事情が存在している。


馬への危険が少ないシーンでは

ちゃんと役者が乗馬している

ことからも、

撮影をめぐる時代の移り変わりで

あるというだけ。


確かにこれまでの

大河ドラマとは表現が

違うところは大きいが、

個人的には悪いこととは

まったく思わないので

新しいビジュアル表現に

挑戦していること自体が

好ましいことだと感じる。




・総じて骨太の娯楽時代劇である


これまで書いたように、

安易に批判されがちな

部分に関しては、

時代考証の面から見たときに

ちゃんと最新の研究に

沿っていることが示されており

批判している側の頭が固く、

知識が浅いせいで、

おかしな批判が出ている

だけである。


つまりは時代劇として観たときに、

史実の無視などはしていない。


裏付けがあることを、

ほとんど毎週のように

時代考証の先生が解説を

書いてくださってもいる。




ストーリーはまだ序盤なので

これから先はわからない。


が、前作にあたる

鎌倉殿の13人が異例の

大ヒットとなりながらも


「しぬどんどん」


と揶揄されるくらいに、

コメディ要素はありながらも

陰惨な場面が多かっただけに

家康をどの方向性でやるのか、

というのは難しかったと思う。


最初は桶狭間から

逃げ出すところから始まるし、

スイーツ大河的な懸念は

当然、上がっていたものの…


いくさ場で倒れた兵士の

持ち物を漁る子供達や

人質として処刑される

女性たちの様子を

しっかりと描くなど、

決してスイーツではない

厳しい現実も描いている。


また、一向宗との対立を

見てもわかるように

主人公である家康側を

絶対正義として描くのではなく、

どちらにも事情があるから

対立が起きることを

しっかり伝えようとしている。



瀬名は人質となった経験から

いくさを嫌がるようになったが、

於大の方は家康や夫に、

いくさで手柄を立てることを

促す女性として描かれており


「いくさは嫌でございます!」


みたいな現代の価値観を

全面に押し出すようなことは

まったくしていない。



また、於大の方が

上ノ郷城を家康にねだった

ことなども批判されたり

していたのだが、

現実に上ノ郷城は

於大の方の夫が拝領している。


こうした歴史的な事実を、

うまくドラマの中の出来事に

アレンジして落とし込んでいる。


武士としての服部半蔵と

忍びである服部党との

関係性なども、

歴史に詳しい人であれば

うまく表現しているなぁと

感じさせられるところである。




鎌倉殿の13人とは、

目指しているベクトルは

違う作品だとは思うが、

その鎌倉殿の13人に、

今回の家康を登場させて

いたように、

あの吾妻鏡を読んだ家康が

どんな国作りをしていくのか、

それも見どころのひとつだ。


当然ながら、北条家や

小四郎のようになんでも

他者を廃絶するやり方は

まずいということを

家康は学んでいるはず。


別の作品でありながらも、

歴史としては世界線が

繋がっているものとして、

武士の世の結末を

見届けている、というのも

なかなか面白いものがある。


本音をいえばこれに、

麒麟がくるの十兵衛が

天海として家康に仕える、

となってくれたらもっと良い。


各作品同士がどこかで

うっすらと繋がっている、

そんな夢が見られるのも

「ドラマ」だからこそである。



異常なまでに史実だけに

こだわる人を時々見かけるが、

人気が高かった鎌倉殿も、

麒麟がくるも、

正直、そんな史実重視ではなかった。


ただ、両作品に言えるのは

善悪の判断そのものを

主人公にさせていないし、

それを押し付けてもいない、

ということだ。


彼らは置かれた状況に対して

彼らが思う最善の手を打っていた、

というだけのこと。


そして、それこそが

本当は歴史の事実である。


正解だの、間違っているだの

言えるのはこうして

後世になってそこから

発生した結果を知っているから

そんな判断が出来るだけのこと。


若い家康がその若さゆえに、

失敗を重ねてもいいし

これからどんな家康になるのか

楽しみでしかない。


ドラマ自体もそうであって、

視聴率がどうであっても

大河ドラマの打ち切りなどは

まずほとんど起こらない。


48回しっかり描いて、

その評価は後世に託す、

くらいでも良いのである。



あの鎌倉殿の次、

だからこそ難しかったり

視聴者からの見方も

色々分かれるんだろうけど

元々、鎌倉殿自体が

かなり異端な存在の

大河ドラマ。


家康は家康として、

自分たちが描きたいことを

描いて良いはずだし

現時点では自分から見て

充分楽しめる娯楽作品に

なっていると思う。


これからも楽しみにしている。