北条時政の存在は大きかった | NobunagAのブログ

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昨日は北条時政を演じる
坂東彌十郎さんの
素晴らしい演技に、
涙が出そうになった。

鎌倉殿の出演者の皆さんは
インタビューなどでも
時々、SNSのことにも
触れていることが多いのだが
坂東彌十郎さんも、
感想を返信すると
よくいいねをしてくれる
優しいお人柄だ。

その優しい坂東彌十郎さんが、
歴史上では悪人とも思える
北条時政を演じる。

どのような時政になるのか、
楽しみでもあった。

ここまで観させていただいて
感じることは、
彼にしか演じられない
優しさと芯の強さのある
素晴らしい北条時政だったな、
ということだ。



序盤は気の良い親父、
といった感じだった。

平六の父である三浦義澄と
親友であるという設定のため、
二人で行動することも多く
その二人の掛け合いが面白いため
コメディ要員のような
場面も多かった。

しかし、頼朝の元で
冷徹さを学んでいく
息子の小四郎のことを
遠くから見つめる、
というようなシーンも
描かれていた。

徐々にお互いの価値観が
合わなくなっていくことを
感じさせる一幕だった。



自分も父親であるので、
とくに感じることなのだが
父親の在り方というのは難しい。

息子に自分を超えてほしいと
思う気持ちは人一倍あるのに、
男として息子に負けない
自分でいたい、という
感情も持ち合わせている。

そこにうまく入り込んでくるのが、
若い妻である牧の方、りくの
存在だった。

りくに焚き付けられることで、
時政は権力を握るようになる。

そのりくにしても、
史上語られているような
典型的な悪女かというと
そんなこともなく…

これも宮沢りえさんの
好演の賜物なのだが
あくまでも上昇志向で
いつかは故郷の京に戻り
優雅に暮らしたいという
夢を持つお姫様、
という雰囲気だった。



我々がよく知る
鎌倉時代の歴史というのは
主に「吾妻鏡」という
歴史書に書かれたことが
元になっている。

鎌倉殿の13人の脚本家、
三谷幸喜氏も原作を
強いてあげるとするなら
吾妻鏡である、
としている。

しかしその吾妻鏡というのも、
あくまでもその後、
権力を握った政子や義時の
正当性を強調して書かれた
歴史書である。

「歴史は勝者が作る」

と言われているが、
古今東西、世界を見渡しても
それは逃れようもない事実だ。

だから、権力闘争に負けた
時政やりくが
悪者のように思われるだけで
仮に時政が勝利していたなら
残された歴史は違うものに
なった可能性すらある。



吾妻鏡を読んでわかることは、
少なくとも義時と時政は
ある時期までは不和ではなかった。

そしてドラマでは、
あまり大きくは描かれていないが
義時は「江間義時」であって
「北条時政」から見ると、
息子であっても分家であり
義時は父の命に従う立場
だったということだ。

父に従っていれば、
義時は安泰だった。

それが父を追放するほどの
大きないさかいになったのは
畠山重忠の討伐からだ。

これはドラマでも描かれているが、
史実ではドラマ以上に、
父に逆らえる立場になかった
義時は父の命令により
大軍勢を率いて畠山重忠を
討ちに向かった。

だが、そこにいた畠山勢は
あまりにも少数で、
謀反の気配などまったく
なかったと言われている。

ただでさえ重忠は、
妹の夫でもあり、
長年、苦楽を共にした
戦友でもあった。

そんな重忠を騙し討ちのように
討ってしまったことは
義時にとって大きな苦しみとなり、
時政を激しく糾弾したという。

むろん、これも先ほど
書いたようにあくまでも
吾妻鏡は義時側に立った
目線から書かれたものなので
時政の立場からしたら、
そうじゃねえんだ!!という
可能性もあるのだが。



時政の処分を決める際、
三善康信は時政がいなければ
頼朝は決起出来なかった、
と訴え助命を嘆願した。

ドラマでも小四郎は
時政を殺すべきかどうか
非常に悩んでいたのだが、
こうした声に押され、
時政を殺さないことを
選択した。

歴史上においても、
時政も牧の方もその後、
伊豆で余生を過ごしている。

これはかなり珍しい
措置だったように思う。

なぜなら頼朝の時代から
多くの御家人たちは、
身分に関わらず粛清されてきた。

なんといっても、
頼朝の弟であるはずの
義経や範頼までもが
殺されてきているのだから。

小四郎が父を討つことに
こだわった理由も、
自分の父だけを許せば
北条は身内に甘い、
と捉えられる。

それは必ず次の謀反を呼ぶ
きっかけとなると考えたからだ。

しかし、現実に時政らは
あくまで隠居という、
穏便な措置で済まされている。

当然ながらそれはおかしい、
という声は大きかっただろう。

だがやはり、
文官の中枢にあった
三善康信や大江広元らは
時政は殺すべき人ではない、と
感じていたのではないだろうか?

息子である義時の
本当の心情を慮った、
という面もあるだろうが、
それだけで処分を決めては
当然ながら、
他の者の反発を呼ぶ。

それでも死罪にはしなかった。


歴史というものが
結果が全てであるとするならば
北条時政という人は

「しくじったら殺されて
当たり前の鎌倉で、
殺されずに許された」

数少ない存在だということだ。


となれば、時政がただの
権力欲に取り憑かれた
大悪人であった可能性は
薄いだろう。

なにせ、義時がいるにしても
重臣の中にはあの大江広元がいる。

大江広元という人は、
範頼を討つ際にも頼朝側につき、
危険な芽は摘み取る、
ということを徹底してきた
そういう人だ。

冷たい、という単純な
意味ではなく、
大局的に見てその相手が
将来的に脅威になるか、
その命を奪うべきかを
頼朝のように冷静に
見極めてきたはず。

ある意味では義時と同じ、
頼朝の愛弟子みたいなものだ。

その大江広元をもってしても、
時政の命は奪うべきではないと
判断がなされたということ。

これが時政の「結果」だろう。



普通に歴史を読んでいると

「なんで時政だけは
許してるの??」

という疑問は当然起きる。

しかしこうして、
ドラマによって
北条時政という男の人柄、
生き様を丁寧に描いたことで
その結末に一定の説得力が
生まれている。

これがドラマの力であり、
素晴らしい脚本家、
そして役者の演技とが生み出す、
ひとつの芸術だと思う。



以前にも書いたが、
北条時政という人は、
権力者の器ではないけれど
伊豆の親分としては
申し分ない存在だった。

自分を頼ってくれる者は
切り捨てない。

それが最終的には妻である、
牧の方にのみ向いてしまう
ようになってしまったのだが…

時政の男気がなければ、
頼朝は単に政子の夫、
時政の義理の息子というだけの
生涯を終えていただろう。

鎌倉殿として君臨すること、
鎌倉幕府を開くこと。

それは頼朝を救っただけでなく
平家の専横に苦しんでいた
多くの武士たちを救った。

これは紛れもない、
北条時政の功績である。

ドラマでは小四郎や、
むしろその兄の宗時が
先導しまくった結果、
時政も重い腰を上げたようにも
思えてしまうが、
少なくとも伊豆の兵力を
握っていたのは時政だ。


時政の当時の権力といえば、
知事にも満たない、
強いていえば町長くらいの
そこそこの力はあるが、
あくまで地方レベルの
存在だったはずだ。

天下を握っていた平家に
弓を引くなどというのは
大博打だったに違いない。

しかし時政が後ろ盾として
頼朝をバックアップしたことで
迷っていた多くの者たちが
後に続き始めた。

頼朝が最後まで北条家だけは
特別に扱っていたのも、
よくわかる。


義時が飛躍できたのも、
頼朝のお気にいりになれたのも、
そんな時政がいたからだ。

ドラマの中で

「父上は常に私の前にいた」

と小四郎が語っていたが、
そうなのである。

父としての時政は、
その背中で小四郎を
引っ張ってくれていた。




坂東彌十郎さんの時政が、
これでフェードアウトなのは
ちょっとどころか、
かなり寂しいものがある。

生きているのだから、
ドラマの随所で伊豆で
隠居している時政とりくが
農作業でもしながら

「今頃、小四郎たちは
うまくやってんのかな」

「まぁ、口を開けば小四郎、小四郎。
しぃ様はちっとも私を見てない」

みたいなほのぼのとした
会話を交わしている
シーンくらいはほしいなとも思う。

なぜなら時政にとっては、
その姿のほうが自然なのだから。


これが最後にならないで
ほしいと思っているんだが、
ともあれ坂東彌十郎さん、
宮沢りえさん、
素敵な北条夫妻をありがとう
ございました!