YOSHIKIさんがいてくれて良かった | NobunagAのブログ

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家庭菜園、ゲーム、アイドルなど趣味の話題や、子育て、介護関係のことをつらつらと書いています。

一部の人はご存知の通り、

俺が好きなアーティストは

YOSHIKIさんであり、

小山田圭吾さんでもありました。


その小山田圭吾さんについては、

連日の報道でわかる通り、

非常に残念なニュースが

何度も目に入ってきます。


障害者の方をいじめていたのは

もちろんのこと、

ファンとして俺がすごく

つらかったことが

もうひとつあります。


それは彼が入院中に

末期癌の患者さんのことを

夜中にうめき声が聴こえてきて

面白かった、

みたいに語っていたことでした。


俺の母も同じ末期癌で、

亡くなる前日まで

ほとんど寝ずに世話をしました。


毎晩、本当に苦しそうに

うめいたりうわ言を言ったり。


そのたびに手を握りながら

ずっとその声を聴いていた

あのつらかった日々のことは

今でも忘れられないし、

あの苦しそうな声は

今も耳に残っています。


あの日々がどんなに

苦しくてつらかったか。


本人にも家族にも。


そういう弱い立場、

苦しい立場の人、

人の命を

面白おかしくバカにして

語ってしまう

小山田圭吾さんの人間性に

好きだったぶん、

ものすごく失望しました。





俺の青春時代の憧れは

YOSHIKIさん率いる

X(XJAPAN)と、

小山田圭吾さんの

フリッパーズギターでした。


ジャンルは全然違うんですよ。


XJAPANはハードロック、

フリッパーズギターは

ネオ・アコースティック。


どちらもまったく、

別の世界観なんだけれど

そのどちらもが

先進的で独創的な

世界観を持った、

素敵な音楽でした。


であればこそ、

その音楽を作り上げた

お二人に対して、

憧れたものです。


二人とも俺にとっては

スターだったんです。


だからこそいま、

小山田圭吾さんの

ひどい発言の数々を

改めて見るたびに、

本当につらく悲しくて

どうしようもなくなります。


若い頃ですから、

多少の悪さくらいは

するでしょう。


昨日、俺自身も自分の

恥ずかしい過去の話は

正直に書きました。


YOSHIKIさんなんかも、

カレーが辛い事件、

シャワーが熱い事件w

であるとか

まぁ、破天荒な行いも

けっこうありましたね。


彼はお父様を亡くされた

悲しさなんかもあって、

グレてしまっていた

時期もあるそうです。


もちろん喧嘩なんかも

してきたでしょうけれど、

弱い者いじめをしたとか、

そんな記事を読んだことは

一度もありません。


そういう噂も聞きません。


彼は幼稚園の頃からの

友達であるTOSHIさんと

バンドを組んで、

XJAPANの基礎を作りました。


YOSHIKIさんが立派だったのは、

例えば過去がどうであれ、

そしてロックバンドなので

見た目や言動が派手でも

本当はすごく優しい心を

持っている方なんです。


もちろんロックバンドなので

歌詞の一部にはあえて

攻撃的なものがあったり

言動に関しても、

パフォーマンス的な意味での

強い言葉もありました。


でもXJAPANの曲の多くは

本当はYOSHIKIさんが

子供の頃に自ら命を絶ち、

亡くなってしまった

大切なお父様への思いを

曲として綴ったものです。


彼はずっとお父様への

消えない思いを抱え、

そういう中でもがき

苦しみながら作曲を

してきた人です。


であればこそ、

人の命の大切さや

失うことの痛みを

心から知っている人です。




YOSHIKIさんは

大人になった今は、

何かがあれば…


例えば災害などで被災した

皆さんに対して、

寄付をしたりスターとして

恥ずかしくない行動を

率先して行っています。


またそれだけでなく、

ファンのことも大切にし、

ファンの意見に目を通してくれます。


俺みたいな奴のことすら

Twitterでは相互フォローを

してくださったりも

しているんです。


YOSHIKIさんだけじゃなく、

かつてギター担当だった

HIDEさんなんかも、

見た目はすごく派手でも

難病の女の子との交流を

すごく大切にしていました。


弱い立場の人に優しく

寄り添ってくれる人でした。


そのHIDEさん、

またTAIJIさんといった

YOSHIKIさんにとって

大切な仲間も若くして

亡くなってしまいました。


YOSHIKIさんという方は

お父様だけでなく、

仲間も亡くしてしまって

いるんです。


その悲しみも抱えたうえで

弱い人に寄り添いながら

YOSHIKIさんは今を

真っ直ぐに生きています。


本当に素敵な人間性を

お持ちなんです。





だから俺は末期癌で

苦しんでいた母の

ベッドの周りに

YOSHIKIさんの写真を

貼ってあげました。


「あ…!YOSHIKIだ、

カッコいい…!」


と笑顔になってくれたのを

覚えています。


母が苦しそうなときは、

母も好きだった

YOSHIKIさんや、

XJAPANの映像を

せめて痛みや苦しみから

少しでも逃れられたら

いいなと思いながら

流して聴かせていました。


聴いていながら、

俺も切なくて、

何回か涙がこぼれました。


それでも母は亡くなって

しまったわけですが、

お葬式にはYOSHIKIさんの

作った曲を流させてもらいながら

最後のお別れをしました。


俺はそのことを、

すごく誇らしく思っています。





俺は本当にYOSHIKIさんが

いてくれてよかった、

生きていてくれて良かった、

そう思っています。


いつまでも、

何年経っても素敵な

憧れのスターでいてくれて

本当にありがとうって

思っています。


かつては天皇陛下に

捧げる曲も作曲をされ、

いまや日本だけでなく

世界からも認められる

スーパースターです。


そしてそれに驕ることなく、

また弱い立場の人を

バカにしたりしない、

それどころか手を差し伸べる

優しさも持った、

本当に素敵な方です。




比べてはいけないのでしょうが、

小山田圭吾さんだけを、

好きだったなら俺はもう

ショックで立ち直れないくらい

悲しくて傷ついています。


でもYOSHIKIさんに憧れ、

好きになったことに

胸を張れることで、

救われている部分は大きいです。


何よりも母を看取るときに、

あのつらくて苦しくて、

どうしようもなく

悲しい時間…


YOSHIKIさんの存在、

彼の音楽は大きな支えでした。




この場を借りて改めて

お礼を述べたいです。



YOSHIKIさん、

俺にとって素敵なスター、

優しい人でいてくれて

本当にありがとう。


ご自身がすごくつらい

人生を歩んできたのに、

ファンを裏切ることなく

真っ直ぐな生き方をいつも

見せてくれてありがとう。




俺もあなたのように、

優しくて強い人でいられるよう

頑張って生きていきます。