ちいさきもの | NobunagAのブログ

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家庭菜園、ゲーム、アイドルなど趣味の話題や、子育て、介護関係のことをつらつらと書いています。



子供用の小型の畝からも
小かぶが芽を出していた。

べつに子供用だからといって
小さい畝にする必要性は
まったくないんだけど、
なんか可愛くしたかったのでw

ちいさきものよ…!



小松菜も子供用に畝を
追加してあって、
手前があとで子供が
植えたやつです。

俺が植えたほうは、
ずいぶん育ってきたね。




今日は雨なので畑は休み。

実は昨日、きゅうりと
ナスを植えるための土作りをし
苦土石灰や堆肥をまいたので
こうして雨が降るほうが
良いのです。

これまでは天気なんて、
仕事に行くときに
濡れると嫌だなとか
その程度のことでしか
なかったんだけど、
畑をするようになって
天気予報の重要性に
気づいた。

こうしてこれまでは
なんとなくでしか
意識しなかったこと、
あるいは風景でしかなかった
周りの畑や木や花の様子など
いろんな世界が、
本当は自分の目の前に
広がっていたことに
気づかされている。

母をなくしたことは、
決して良いことでは
なかったんだけど、
それを機に新しい世界が
開いたのは本当で…

これまで自分が
見落としていた大切なものが
こんな近くにたくさんあったことに
いまさら感動して生きている。

自然というものを前にしたら
自分自身すら、
ちいさきものでしかない。

野菜なんにしても
管理すれば綺麗に育つ。

その結果が出るのは
うれしい。

けれども何ヶ月も
なんの管理も
してこなかった、
母がいつか植えたような
知らない野菜が出てきたり、
花も開いたりもしてくる。



この謎の野菜なんて、
何がなんだかわからず
以前、草取りしたときに
何度も鎌で刈ろうとしたが
硬すぎて刈り取れず、
放置してただけなのに
こんなに大きくなった。

根も傷ついたはずなのに
すごい成長力である…

つまり自然は、
人間がどう動いたって、
自然のものとして
そこに息づいてる。

人間はそれを間借りして、
楽しみを分けてもらって
いるだけなんだと思う。

そういうことに、
いまこの年齢で気づけたのは
ありがたいと思う。

もっと早く気づく人も
いるのかもしれないが、
大抵はもっともっと
年を取ってからやっと
気づくような気がする。

この2ヶ月程度の間に、
俺自身、ずいぶん変わった。

人間は小さい、
自分も小さい。

自分が変えられることなんて
ごくわずかにしかない。

でもそれは否定的な
意味なんかではなくて、
人間はもっと大きなものに
守られて生きてる、
だから自分が変えられないことが
いくつあっても、
全然問題なく、
そのほうが自然であるという
ポジティブな意味だ。

悲しんで生きても、
楽しく生きても、
どちらも同じで
大きな括りで見たとき
たいした意味はない。

で、あるならば
同じ時間を過ごすのなら
後者でありたいと思う。