正しさの是非 | NobunagAのブログ

NobunagAのブログ

家庭菜園、ゲーム、アイドルなど趣味の話題や、子育て、介護関係のことをつらつらと書いています。



で、あるか。

是非に及ばず!!


仕事の立場上、
スタッフから

「私はこう思ってこうしました、
正しかったでしょうか?」

と問われることが多い。

しかし即答が難しいことも
よくある。

そもそも正しさというのは
自分から見て正しくとも
他者から見たら正しく
なかったりもするものだ。

全力で正しいと思って
やったことが、
あくまで結果としては
正しくなかったなんてことは
ままある。

だから座右の銘ではないが、
俺が自分で基準にしているのは

「正しいと信じることはしろ、
やましいと感じることはするな」

ということである。

正しいと信じても、
正しくない可能性はある。

そうなったら仕方ない。

が、最初から心のどこかで
やましさを感じることは
大抵、正しくないと
本心では気づいてることなんだ。

それで失敗をすると、
必ずといっていいほど
後悔をすることになる。

だからこそ他者に

「自分は○○だからこうした、
正しいと思うか?」

ということを自信を持って
述べているときには、
ほとんどの場合その人は
自分の中で俺は正しいと
答を出している。

だからその通りにすれば
良いと思う。

反対に

「正しかったでしょうか?
正しいですよね?
正しくないわけないよね?」

のニュアンスが強すぎる
場合には、
その人はどこかで
正しくないのではないかと
気づいている。



本来ならば自分の行動は
自分のみが知っていることで
他者が判定することじゃない。



冒頭に反町隆史氏の
信長がかっこよくて
つい写真を載せたが
信長は光秀に裏切られ、
自分がしてきたことが
正しかったのか、
正しくなかったのか
死を前にして
自問自答しただろう。

そしてその答えが

「是非に及ばず」

なのだろうと思う。

是非を論じることではない、
ということなんだ。



自分に胸を張れることは
堂々とやればいいし、
後ろめたいならば
やらなければいい。

どちらにせよ、
その答えは全部自分に
跳ね返ってくるだけだし、
それがどちらでも
受け入れていけばいい。

人生とは全般に
そういうものだと思ってる。

人間五十年…よりは
ずいぶん長生きする時代に
なったものだけど、
人間とは最後には必ず
死を迎えるので、
そのとき後悔しないように
生きていればそれでいいと思う。

人は一度や二度は間違える。

その間違いが致命的な
こともあれば、
そうじゃないこともあるが、
全ては誰にでも
起こり得ることばかりで
ミスのない人生は
存在しない。

ただ、一生懸命正しくあろうと
したかどうかは、
人それぞれに違う。

自分のことは自分にしかわからない。

自分を認められるのも、
許せるのも最後は自分自身だ。

だから他者に相談するのは
良いけれど、
やはり最後に決断するのは
自分自身であるべきで、
自分を裏切らない
生き方がベストだろう。

俺はこれまでもそうだし、
これからもそうする。