応援しているのが、
俺のスタンスではあるのだが。
時々
「犯人や運営の言い分にも
本当のことが含まれていたら?」
であるとか
「仮に彼らの言っていることが
事実であったなら」
という書き方をすることがある。
これについて、
「一部だけ読むと、
犯人を擁護しているように
感じられてしまうかも」
というご意見をもらった
こともあるし、
確かにそういうふうに
読み取れる面があるのは
自分自身でも気づいてはいる。
それなのにどうして、
そんな仮定の話を書くのかというと
一応、理由はあるんだよね。
まず第一に自分は仕事柄、
相反する主張をする
二者の話を聞く機会は
とても多い。
だから普段からまず
心がけているのが、
意見が割れていることについては
両方の見解は必ず確認するということ。
どっちか嘘を言ってる、
ということは多いんだけど
それでも初めから
意見を弾いてしまうと
真実を遠ざけることにも
なりかねないから、
一応、お互いの主張というのは
把握しておくに越したことはない。
第二に両方の意見を聞き、
実際に自分もその両者の
視点にそれぞれ立って、
考えてみる。
これをすることで、
それを言っている人が
どのような理屈を元に
どういう意図で言っていて、
なぜその結論になっているかを
ある程度把握できる。
これはもしも片方を
論破したいと思うときにも
とても役立つ作業になる。
とくに文章に起こすと
自分の中でも整理されてくるから
争い事の本質は理解しやすくなる。
そしてNGTの事件ね。
実際に何度か
「犯人や運営が本当のことを
言っていたらと仮定して」
では、こうだったのではないか?
ということを色々書いてきたのだが。
彼らが本当のことを
言っている場合という
ストーリーを作るのには
恐ろしく苦労する。
あらゆることを
無理やり解釈してあげないと
ストーリーとして完成しないんだ。
「まぁこれは見方によっては
多少こうも言えるだろう、
ん?この部分は…
なんとかこうこじつければ
そうも言えるだろう…
うーん…無理があるけど、
こうしたらなんとか
こうつながるか…」
実際に書いていても、
そんなことばかりなのだよw
反対に真帆さんを
全面擁護するときは?
彼女の言ってきた言葉は
全てストンと腑に落ちるから
そんな無理にストーリーを
作る必要がないのです。
事件後の告発動画、
ツイート、
そして録音データ。
間違いがないように
俺はかなり何度も
確認をしているのだが
彼女の残してる言葉のほうが
とくに無理に解釈したり
こじつけをしなくても、
ほとんど理にかなってる。
つまり
「犯人や運営のほうが
本当だったと仮定したら?」
という文章を書けば書くほど、
ダメだこりゃ、
どうやっても真帆さんのほうが
真実を言っているということが
再確認できるんですね。
だからとても不思議なのは
一部の(自称?)
反真帆さんのジャーナリストや
三流メディアって、
多分、ものすごく苦労して
真帆さんのほうが悪い、
犯人や運営には落ち度がない、
というお話を誰かのために
苦しみながら書いていると
感じるんだ。
要はでっちあげか、
せいぜい拡大解釈。
そこまで苦労して、
やっとこさ
「真帆さんが悪い!」
というストーリーを
必死に組み立てているのね。
何のメリットがあるのか
訳がわからないけど。
まぁそんな感じで、
俺の文章は癖もあるし
ブログに書くことによって
頭を整理している面もあるので
わかりにくいかもしれないが、
あくまでも真帆さんの
味方であって、
犯人や運営を擁護する気は
全然ないのですよ。
というよりも、
彼らの言い分の中に
それだけの真実が
全然存在していなくて
何も響いてこない、
というのが今の状態。
真実があるのなら
一応聞いてあげたいとは
思ってるのに
全然言わないんだから
どうにもならねーw
前々から言ってるように
「本当の真実は違う」
であるとか、
「ほんとのこといいます!」
とか言うくらいならば、
無理な解釈をしなくても
ちゃんと理屈が通じるような
ストレートな真実を
しゃべればいいだろ、
それだけのことだろってこと。
そんなもんないから、
嘘しか言えないのだろうとしか
感じられないよね。
真帆さんのほうが、
真っ直ぐで嘘をつかないし、
可愛いから人が応援するのは
当たり前ですわよw
