■施設で看取る意味■
今日も一人の方が
老衰で最期を迎えました。
小学校時代の同級生の方が
一緒に入居していたので
その方も含めて、
ある程度わかる方というか
認知症が軽めの方は
最期のお別れをしてもらい
みんなで送り出しました。
同級生の方は
泣きながら
「○○ちゃーん!」
と子供の頃の
呼び名で
何度も何度も、
呼び掛けていました。
さすがに切ないですが…
悔いのないお別れを
してもらえたかなと
思います。
亡くなった方は
元気な頃から常々
「苦しんで死にたくない」
「病院の世話には
なりたくない」
と言ってきた方です。
実は自分がホームに
やってくる前から
入居している方なので
最古参の方なんですね。
そういう方が二人いて、
その貴重な一人です。
苦しんで死にたくない、
という希望は…
叶えられたのかどうなのか。
老衰ではありますが
あまり動けなくなったのは
今年に入ってからなので
そんなに寝たきりみたいには
ならなかったのかもしれません。
食事も一昨日までは
それなりに食べられていて
今日も朝食はスタッフが
二口くらいですが
口には入れてあげられた
そうです。
その後、顔を拭いてあげて
化粧が好きな方だったので
化粧水もつけてあげて
爪切りをしてあげて…
その後、5分ほど離れ
ちょうど息子さんが
面会にきたときに
息を引き取っていたと…
グループホームらしい、
亡くなり方かなと思います。
とても安らかなお顔でした。
「病院に行きたくない」
というのは、
今日みたいな支援が
してもらえないから
ではないでしょうか。
死ぬその日まで
化粧をしたり、
爪を切ってもらったり。
絶食のような状態でも
ほんの少しだけでも
食べ物の感触を
口で味わったり、です。
多分、病院ではできません。
その意味では本人が
望んでいた最期を
支援できたのかもとは
感じています。
利用者さんたちと
一緒に送り出せたのも
病院ではそうも
いかないんですよね。
亡くなると誰もいない部屋に
移動させられて、
ひっそりと葬儀屋さんを
待って寂しく出ていくことに
なります。
それが病院なので
もちろん悪くはないです。
病院という場所は
病気を治すところです。
何が良い悪いじゃないけど
死に方を選ぶことが
出来るのであれば
自分で選びたいものだし
選んでくれたなら
その支援をするのが
我々なのかなと思います。
利用者さんに対して
同じ利用者さんの死を
伝えない施設もあります。
ショックを受けますからね。
でも…今日みたいに
同級生の人だったり、
認知症が軽めの方で
「同じご飯を食べた仲間」
ということがわかる人には
僕は伝えますね。
泣きもするし、
ショックも受けます。
悲しいことですよ。
でも人間なのです。
人間だからこそ、
誰かが亡くなれば悲しい、
その悲しみをこうして
みんなで共有できる。
人は悲しんでいいんですから。
それが自然なのです。
人間として支援するからこそ
なるべく隠さずに、
わかる人に対しては
伝えることを
僕は選びます。
亡くなった方の家族も
同じ利用者さんたちが
見送ってくてることに
とても感謝してくれました。
90も越えると
なかなか友人たちに
見送られることも
ないと思うんですよね。
でもホームにいたから
それができたのです。
まぁ、ここまでは
綺麗な話で…
その一方では
人が亡くなったって
言っているのに
「そんなことはどうでもいいから
早く私を手伝ってよ!!」
って怒ってる方も
いましたが…
それもグループホームです…
認知症です。
その人はいつもそうで、
それがまた日常です。
どんなときも、
人が亡くなっても
平常運転なのです…
これだから認知症の
グループホームでの看取りは
そこに集中できなくて
難しいんですけどね。
スタッフにしても
「みんなで送り出そう」
ということの意味が
まったく理解できない人も
います。
最期のお別れがしたくて
死後の処置が終わるのを
リビングで待ってくれてる
利用者さんに対して
「ここにいたら邪魔でしょ!
早く部屋に戻ってよ!」
などと言ってる
スタッフがいました。
何年やっていても
そういう感覚の人が
いるのは残念です…
無視させましたけどね。
まぁ自分もそんなことまで
書かないで、
良い看取りの話で
終わっておけば
良いんでしょうけど、
現実を伝えることにこそ
意味があって、
それも亡くなった人への
礼儀だと思うので。
看取りも慣れる、
というのも変ですが
昔はどうやって
支援をしても最終的に
死に行き着くことに
敗北感を味わう時期も
長くありました。
これはケアマネという
職業柄、
人が亡くなるということを
正面から学んでないんです。
それどころか
「介護保険とは利用者の
機能向上のために
存在している」
「お前たちはそれを
支援するための職業なんだ」
とさんざん頭に
叩き込まれますので…
認知症への理解も乏しいし、
利用者の低下、悪化は
支援者が悪いから、
というふうに片付けられたり
するのです。
少なくとも試験や
研修の段階では
そうです。
人間には生と死が
等しく価値のあるものとして
存在することが自然なのに
生こそが全て、
という前提のもとに
支援の組み立てを習います。
恐らくはベテランの
ケアマネの中でも
実際に人の死を
目の前で見たことがない
人すらいるかも。
そういう人が
何を教えたって
伝わらないです。
僕自身も別に今自分が
している支援が
正しいことかは
まったくわかりません。
かなり忙しい中で
こういうことを
やっていますので
書類なんざおざなりです。
実地指導でもあれば
不備を指摘されるかも
しれませんし…
ケアマネとして
間違っているかも
しれませんからね。
でも…自分がこの仕事を
する以上は、
プロである以上は
教科書以前にまず
自分が信じるやり方を
していくことにしています。
自分にしかできないことを
してあげることが、
その人が僕に出会った意味、
僕がその人に出会った意味に
なっていくので。