田舎でいじめが起きる理由 | NobunagAのブログ

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■田舎でいじめが起きる理由■

山梨県北杜市のいじめに
ついて先日書いたが、
一見、平和そうな田舎で
なぜそんなことが起きるのか、
実際に田舎に住んでいると
よくわかる部分もある。

例えばテレビなどで
田舎が紹介されるときは、
都会で失われた
ご近所付き合いなどが
好意的に取り上げられる
ことが多い。

事実、田舎というのは
横のつながりが深いので
隣の家に住むばあちゃんが
野菜をくれるということは
しょっちゅうある。

うちは田舎といっても
その中でも多少は
街の部類なんだけど
そうした近所の人の
優しさを感じることは
それなりにあり、
助けられている。

それくらいであれば
もちろんまったく
素晴らしいことなんだが…

街のほうはともかく、
山奥的な田舎にいくと
そういう横のつながりが
深い一方で、
その分だけ排他的な
側面を生む。

つまり他所からきた人に
冷たい面は非常に感じる。

この「ヨソ」という感覚は
田舎独特のものなんだよね。

身内には優しく、
「ヨソ」に冷たい。

なぜなら外の世界を
よく知らないから。

理解できないもの=怖い。

人間には元々、
そういう感覚があるけど
それが非常に強い。

また、狭いコミュニティで
暮らしている分、
仲良くしているときは
良いけれど、
一度仲違いをすると
悪い噂が広まり、
あっという間に村八分となる。

この「村八分」だって
現代人や都会人から見たら
よくわからないと思うけど…

下手をすると三世代前
くらいのいさかいを
いまだに引きずってる
家すらあるぜ…

三世代ってさ、
明治以前とかだぞw

普通あり得ないでしょ。

べつに田舎に対して
俺が差別心から書いてるとか
そういうことではない。

何度もそういう
田舎の悪い面を
体験している。

例えばデイサービスの
送迎なんかに行ってたころ

「あのほら、
三軒隣の家は親戚だよ。
あそこのバアサンも
通ってるでしょ?」

「そうですね、
じゃあご親戚なら同じ日に
通えるようにしたほうが
いいですかね?
こちらもそのほうが
お迎えに来やすいので」

「とんでもない!
あんな家の人間と
一緒に通うなんて!!」

「…」

こういうことは、
何度もあった。

送迎をする側からすると
下手すると同じ日であっても
違う車で別々に
送迎をしないと
苦情を言われることもあり
正直めんどくさかった。

めんどくさかいとか
心情的なことを
抜きにしても、
非効率的であるし
ガソリン代も無駄である…

あるいは都会から
田舎暮らしに憧れて
引っ越してきた人がいた。

その人はまさに、
先ほど書いたテレビでの
田舎のイメージを
信じこんでいて…

自給自足の生活なんて
まったくしたことないのに
困れば田舎の優しい人が
助けてくれると思いこんで
引っ越してきたはいいが…

「ヨソ」の人に対して
周辺住民が警戒しまくり、
またその人自身も
周りの住民と溶け込める
タイプでもなかったので
すぐに孤立。

結局、ホームレスのように
なってしまって
警察に保護された。


いじめの件があるので
田舎の悪い面ばかり
書いているわけだが
もちろん田舎にも、
素敵な部分はたくさん
存在もしている。

そりゃあ当たり前だ。

ただ、あくまでも
なぜ福島県から
被害者であるはずの子が
そこまでいじめられなきゃ
いけなかったのかというと、
田舎独特の排他的な部分や、
放射能などの未知のものへの
無知な面など…

田舎が純粋であれば
あるほどに、
「ヨソ」から来るものへの
恐怖心、敵対心、警戒心、
そうした悪い部分だけが
膨れ上がってしまったのでは
ないかと感じるのだ。


多少の街に住んでは
いるといっても
しょせん俺もそんな
田舎者の一人ではある。

田舎のことを悪く
述べることもすごく
残念だと思うんだが…

それでも苦しんでいる子、
いじめられている子が
いた以上は、
こうしてそこに住む大人が
なぜそういうことが
起きてしまうのか、
声をあげることは
大事なんだと思う。

大人のプライドやら
そんなことよりも、
子供たちの命のほうが
よほど大切だ。


いじめていた子供たちも
なぜ自分たちが、
狭い了見の世界で
他人を傷つけてしまったのか、
ちゃんと理解しないと
ろくな大人にならない。


それがわからない
連中が教師だの
教育委員会だのを
仕切っているから
いくら

「いじめ防止」

を頭で考えても、
説得力がないんだろうし、
あまつさえその事実すら
隠蔽されるんだ。



田舎に住む一人として
田舎の悪い面よりも
素晴らしい部分のほうを
継承していきながら
素敵な田舎を作れる
大人でありたい。

そしてそういう
子供たちが、
育ってほしいと
願うばかりである。