■介護士としての死への向き合い方■
今日、ある利用者さんが
亡くなりました。
実は僕は昨日、一昨日と
旅行に行っていて
その間に亡くなると
間に合わなかったので
今日で良かったというか…
今朝、偶然にも
娘さんが面会に
いらしているときに
呼吸が止まったそうです。
実は土曜日の時点で
チェーンストークス呼吸と
いって、
何度か呼吸したあと、
数秒間呼吸が止まり、
その後再開するというのを
繰り返していました。
これは死の前兆というか、
下顎で呼吸する
下顎呼吸と並んで
人が亡くなるときの
サインでもあります。
チェーンストークスだと
見通しは読みづらく、
今回のように数日もあれば
数時間で、
ということもありますが
よく
「今夜がヤマです」
と言われるのは
医者も看護師さんも
こういう部分から
判断していると思います。
以前、こちらに書いた
ある病気で
大変な状況だった方も
入院して4日目には、
亡くなられました。
良くも悪くもですが
何年も経験していると
そういう見通しが
ある程度は読めるように
なってしまいますね…
ですから実を言うと
旅行に行ってる間も
電話のチェックは
欠かせませんでしたが…
幸いといっては
おかしいけれど
今日まではもってくれて
まだ身体が温かい間に
お別れができたし、
何より娘さんのそばで
亡くなられたことは
良かったと思います。
人の命を預かるのは
本当に重たいことで、
先日も先生と言い合いに
なってしまいましたが…
この利用者さんも
最初はすごく大変で、
あまりにも症状が強く
どうしたらこの方を
ここで穏やかに
過ごしてもらうように
できるかということは
ずいぶん悩みました。
手に負えない方を
無理してまで受けても
みんなに大変な思いを
させるだけではないかと
考えてしまえばその通り。
その意味ではかなり
厳しい状況の方でした。
でも今日、
娘さんが初めて
教えてくれたのですが…
娘さんのおばあちゃん、
今日亡くなられた方の
お母さんにあたりますが
その方もアルツハイマーが
ひどくて徘徊してしまい、
行方不明になってしまったと。
そして三日後に
亡くなられた状態で
発見されたのですが
見つけたのは、
警察の方ではなくて
この娘さんだったそうです。
「あんな思いはもう
したくなかった。
だからお母さんを…
とても大変だったと思うけど
ここで預ってもらって
こうして最後に一緒に
過ごすこともできた、
そのことに感謝します」
と言ってくださいました。
目の前でおばあちゃんが
川原で人知れず
冷たくなっているのを
発見する…
切ない思いをされたのだと
思います。
きっと当時は認知症、
という言葉すらなく
介護は家でするもの、
という風潮の中で
頑張ってみてきたのでしょう。
その結果として、
そういう悲しい結末が
あったのだと思います。
利用者さんや、
困っている家族というものを
あくまでも患者さんとか
割りきった目で見るなら
「それでも対応できないものは
できないのだ!」
と突き放すことも
必要なことはあるかも
しれません…
ただ、僕が思うのは…
僕らはこうして、
利用者さん、そして
ある家族の物語の中を
共に生きているんです。
何が正しいか、
何が間違いなのか。
善か悪か、
大事なのは
そういうことでは
ないんです。
誰かが亡くなることに対して
反省はいつでもあります。
もっとこうしたら
良かったかもしれないと
後になって学ぶこともあれば
自分は結局は誰も救えない、
ただ死に向かわせてるだけの
存在かもしれないと
悩むこともあります。
でも自分の中には
不思議と後悔だけはないです。
反省はあるけれど、
後悔はない。
それはその時々で、
どんなに悩もうとも
必ず全力は
尽くしているからです。
それこそが
礼儀でもあり
自分ができる最大のこと。
介護とはオムツを
替えることではないし
ご飯を食べさせること
ではないです。
一人の方に、
あるいはその家族に
どうやって寄り添うか。
それが全てなんです。
その内容を他者から見て
どのような評価を
受けようとも、
それはその人の評価であり
僕がどんな思いで
介護をしているか、
一番知っているのは
僕自身です。
これまでに何人もの方を
看取ってきているので
そういう亡くなられた方々や、
その家族が抱いた思いを
背負いながらやっています。
今回も結果としては
ご本人と娘さんとを
最期に一緒に過ごして
もらうことができました。
これはまぁ偶然であって
狙ったことではないですが
娘さんにとって、
おばあちゃんのときのような
悲しい思いとは別の形で
お母さんの死に寄り添う
経験をさせてあげることが
できたのだと思います。
これが自分がケアマネとして
介護士として、
家族にできることです。
であるならば
誰にどう思われたとしても
それをしてくれる人、
という立場に自分が
立たなくてはいけないと
今日また教えられました。
ご冥福をお祈りします。