終活について | NobunagAのブログ

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■終活について■

今日は久しぶりに研修へ。

「終活」

つまりどのようにして
死んでいくかという
人によっては
ヘビーととらえる
内容かもしれません。

このところ現場に
籠りきりなので、
気分転換にいってみたけど
とても良かったです。

というのも実は
昨日、急変された方がいて
今日はそのご家族と改めて
もし同じことがあったとき
お母さんはどのような
最期を望むでしょうか、
という再確認をしたばかりで。

とてもタイムリーな話題。



内容的には普段、
自分がここに書いてきたことと
ほぼ合致するものですね。

生まれることも
死ぬことも大事なことなのに
なぜ人は死ぬことを
避けようとするのか。

どうして向き合わないのか。

もっとそのときのために
前向きに考えましょうよ、
というお話です。




例えば僕らがお世話してる
高齢の利用者さんたち。

全員が100%亡くなるのです。

それなのにケアマネは
その方がどうやって
亡くなりたいか、
あるいは家族がどういう
考えでいるのかを
まったく確認していない。

そういうことが
多々あります。

うちのグループホームは
医療法人経営なので
利用者さんの体調が
悪くなったとしても
医師、看護師とも
連携しやすい環境なので
利用者さん一人あたりの
滞在期間が長いほうだと
言われています。

簡単に言うならば
それなりに長生きが
できるホームだと
いうことです。



3年以上暮らしてる方は
たくさんいます。

5年以上って方も
数人はいますね。

でも10年以上というと
一人しかいません。

つまりは10年もあれば
担当してる方は
9割以上亡くなります。

だから利用者さんの死は
絶対に避けられないんです。




必ずくることなのに、
それを考えてないって
本当はすごくおかしいんですよ。



なにも利用者さんだけじゃ
ないんですけどね。

自分だってわかりません。

昨日はその急変に備えて
夜中の3時まで待機、
今日は朝から12時間仕事、
明日も普通に仕事です…

こんなことしてますので
いつかポックリいくか、
あるいは大病でもするかw



まぁ、そんな環境なので
僕の場合は死については
本当によく考えます。


このブログにしたって
いつか子供に読んでほしいと
遺言代わり的な意味すら
こめて書いてますからね~…


でも深刻ではないんですよ。


死というのは実際には
それくらい身近にあるんです。




目の前で何人も
看取ってきています。


死ぬときというのは
本当に人それぞれ、
受け止め方も家族によって
みんな違います。



ドラマのように
必ずしも美しいわけでもなく、
感動的なわけでもありません。


奇跡というのも、
ごくまれにはあるけれど
本当にごくまれですね。




強いて言えば日常の
ただ延長線上に死も
普通に存在してるんです。



目をそらすのも簡単ですが
死から目をそらすのは
生からも目をそらすと
いうことです。



死ぬことを考えるのは
なぜなのかといえば、
死を意識するからこそ
生きていることの
尊さに気づくことができ、
今自分がしたいこと、
するべきことがなんなのか
わかるからです。



死を考えるのは
自分を知ることに
つながります。



利用者さんについても
同じです。


いつか亡くなる、
それもそう遠くない日に
それが訪れるはずの
目の前の方に対して
どんな支援ができるのか。


これが意識できるだけで
利用者さんへの向き合い方は
必ず変わりますし、
そういう相手のことを
利用者さんは慕ってくれます。



ケアマネだけではなく
全てのスタッフが、
そういう人であれば
利用者さんもよりいっそう
生きやすくなると思います。