認知症と暴力 | NobunagAのブログ

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■認知症と暴力■

ちょっと日記のほうには
グチ的に書いてしまいましたが、
今日は久々に利用者さんに
杖で3発叩かれ(正確には突かれ)ました。

悲しいですよね。

やられたことも悲しいけれど、
それ以上にその人本人も
哀れになるんですよ。

これじゃ子供ですからね。

そんな子供みたいになってしまう
病気が恐ろしいし、
そんなふうになってる
利用者さんも考えてみれば
悲しい存在じゃないですか。

ただ、この同情こそが、
その人からすれば
気にいらないのでしょうね。

人の手は借りたくないんですから。

それなのに家族からは

「人の手を借りなきゃ、
生きられないでしょう!」

と施設に入れられている。

そもそもの不満はそこに
始まりがある。

では施設に入れてしまった
家族が悪いのか?

僕はそう思いませんね。

だって家にいたときに
好き放題に酒を飲んだり
認知症にならないための努力はせず、
奥さんをぶん殴ったり
子供に対して高圧的に
出てきた結果がこれですもの。

だからその人が

「俺に同情するな!」

ということを望むのであれば、
厳しいことを言うようですが、
これが人生の結果ですと
いうほかない。

今になっていくら泣こうが
わめこうが、怒ろうが、
あなたの人生は代われませんよと

べつに僕が厳しいわけでもなく、
ある別の家族もポツリと
言ってましたね。

「確かに本人の今だけを見れば、
かわいそうだとは思う。
でもこれがあの人が
好きで招いた結末です。
こうならないようにするチャンスが
いくつもあったのに、
あの人はそれを無視した。
病気だから見放したんじゃない、
病気になる前にひどいことを
してきたからイヤなんです」

う~ん。
たしかに。

急に認知症になるわけじゃ
ないですからね。

何十年も生きて、
初めて病気になります。

病気になる前に、
もっともっと家族に
良くしてきたら、
最後まで家にいられたかも
しれませんし、
家にはいられなくても、
実際にそういう方がいるように
施設に入っても、
毎日家族が顔を見に
きてくれていたかもしれない。

そこに差異があることが、
その人それぞれの人生の結果なんです。


うちのじいちゃんも、
最後のほうはボケてました。

若い頃はギターが好きな
当時では珍しい遊び人的な
人でもあったし、
老後は毎日野球みながら
酒飲んでるみたいな
イメージの人でした。

でもうちの母は同居もしてないのに、
毎日散歩に連れ歩いたり、
病院に行ってからも
毎日のように親戚中、
代わる代わる面会に行っていた
記憶があります。

最期のときには僕も含め、
親族のほとんどが
病室に集まっていました。

介護というのはそういうものだと思ってた。

でも実際に施設に勤めると、
そんな家のほうが
珍しいくらいで、
僕は世間の家族というのは
冷たいのかなと思っていました。

でも違うんだよね…。

そうなるだけの理由が、
そこに存在してるんだ。

それはまぎれもなく、
本人の問題です。

うちのじいちゃんが
ボケてもみんなから
愛されたのは、
きっとそれだけの愛情は
周りに示してくれた人で
あったのでしょう。

そんなじいちゃんを
今になれば誇りに思います。
若い頃は、
遊び人のジイサン、
としか思えなかったけど
違ったんだねw


ケアマネはまず利用者の
味方であれ、
と教わります。

でも僕はなかなか
そうなりきれません。

暴力を振るう人を
追い出さないようには
してあげたい。

でもそれは本人がかわいそうだから?

本音を言うと違います。

それをやったら、
家族がかわいそうなんです。

行き場所がないのは
本人のやってきた結果ですが、
そのことで家族が
苦しんでしまいます。

だから守ってあげたいのです。

でも限度はあります。

他のスタッフや利用者が、
暴力を振るわれるなら、
なんとかしなくては
いけなくなります。

そのことも僕にとっては悲しい。

さらに付け加えれば、
それに気づかないのが
認知症でもあるし、
あるいはそんな周りからの
不穏な空気を察することが
できたとしても、
ますます意固地になって
さらなる暴力につながるのが
認知症です。

なにもかも悲しいですね。