■高齢者にも考えてもらいたい■
今日の新聞に
「施設は正当な理由なく
入所を断ってはいけない」
「保証人を求めてはいけない」
という記事が載っていました。
意外と知られていないけど、
実はそうなんです。
それなのに多くの施設が
実際には保証人を求めています。
保証人がいないから
入所できないという人は
大勢います。
「正当な理由」
というのは実質的には
「人員が確保できないから
受けられない」
という理由くらいが許されるだけで、
あとは基本的に受け入れろ、
というのが国が示している方針です。
ですから僕らの施設では
保証人がいないことを理由に
入所を断ることはありません。
でもね、これすごく大変なんですよ。
単純に元気な人が
入所するだけなら
それでいいけれど、
現実はそうじゃないでしょう?
たとえば入院が必要になっても、
保証人がいなければ
病院のほうが入院を渋る、
手術の同意書を書けと
言われることだってある。
あるいは入所していたけど
途中で支払いができなくなった。
それどころか突然、死にました。
さて、どうします?
本来、保証人というか
家族や親族がするべきことが
下手すると施設スタッフに
全部のしかかってくる
危険があります。
上記の入院ひとつ取っても、
たとえば僕らの施設のように
人手が足りない施設では、
そういうことで休みの日も
夜勤明けの日でも、
僕が対応するということが
いくらでもあります。
だから
「保証人がいなければ
断りたい」
というのは施設側の本音としては
間違っているとは言い切れません。
でも許されない。
なぜかというと福祉だから。
ボランティア精神でやれ、
というのがこの業界に
求められています。
だから立ちゆかないし
スタッフも疲弊して
やめていくわけだw
これが他の業界では
そんなことありますか?
たとえばあるお客さんが
ホテルに泊まろうとしている。
でもあきらかにお金もなさそうだし、
具合も悪そうである。
身よりは誰もいません。
危険でしょう?
たとえば高額な商品を、
支払い能力がなさそうな人に
売るバカもいないでしょう?
だけど僕らの業界の場合には
それをなんとかしろ、
ってことが求められています。
僕がよく思うのは、
申し訳ないけれど
高齢者にももっと自分の人生、
将来を考えてほしいのです。
前の記事では
「介護は家族がするもの」
と書きました。
当然、反発を覚える人も
いたと思います。
「うちらだってヒマじゃねーんだ!」
「うちの親は最悪な親だった!
見てやる義理なんてない!」
もちろんそういう個々の事情は
存在はしているんですよ。
これね、正直言って
高齢者側もバカじゃないかと
思ったりもするんです。
あなたもある日突然、
年を取ったのか?と。
そうじゃないはずですよね?
生老病死。
この四つはすべての人に
等しく訪れます。
生…生まれる。
これは誰もが意識せず、
この世に生まれちゃってるから
どうにもなりません。
しかし残りの三つ、
老病死に関しては、
自分たちで備えていくことが
できるんです。
人は必ず老いて、
やがて病気になり、
死にます。
なぜそれをもっと真剣に
考えない?
もちろん毎日そんなことを
考えたら気が滅入るでしょう。
僕も考えません。
子供のことやAKBやゲームのことばっか
考えてたほうが楽しいからねw
だけど365日×数年、数十年。
それを考える機会がないとは
言えないはずですよ?
自分が年老いて判断が
できなくなったとき、
病気になったときにはどうするのか。
最終的に死を迎えるときは
どこでどのように迎えたいのか。
そのことをなんにも考えず
年だけ取る高齢者が多すぎる。
自分の家族に、
イヤでも頭を下げて
「おい、俺が年を取ったら
悪いけど面倒見てくれよ。
ひとつ頼むよ」
となぜ言っておかなかった?
それさえしていれば気持ちよく、
介護できたのに、
いつも威張ってばかりの親で
それがなかったから
イヤなんだという家族を
たくさん見てきました。
言葉だけじゃない。
お金の面だってそうですよ。
「一応老後に備えて、
これだけはためておいたから
これで頼むね」
ということをなぜしないのか?
いろんな生き方があります。
しかし誰にも迷惑かけずに
一人で生き、
一人で死ぬことなんて
絶対にありえないんですよ。
「俺はアウトローだ。
好きに生きて好きに死ぬんだ!
人様には迷惑かけねーよ!」
そういう生き方をしても
80、90になってそんなの無理。
絶対に人の世話になりますよ。
たとえアパートの一室で
人知れず死のうともです。
死体が発見されたときに、
警察やアパートの管理人や、
行政の人に世話になります。
「私たちは子供の手を借りず、
夫婦だけで生きるのよ!
親戚なんかに頭を下げたくないわ!」
無理です。
たいていは遠い親戚みたいな人が
引きずりだされます。
その人のほうがかわいそうです。
これまでろくに会ったこともなかったり
「私たちに関わらないでちょうだい!」
とか文句すら言われてたのに
結局は最後の世話をしなくちゃ
いけないことになります。
「なるべく私たちだけでがんばるけど、
本当にもしものときだけは、
どうか助けてね、
お願いします」
となぜひとこと言えないのか。
ろくに病院にも行かないで
健康に気をつけることもなく
パチンコに全財産つぎ込む、
好きほうだい酒を飲みまくる。
さんざん自分の自由に生きたあげく、
いざとなったら、
誰かの手を借りるんです。
借りない人なんか見たことないw
家族、親戚、行政、医師、看護師、介護士、
葬儀屋さん、火葬場の人、お寺…
誰かの助けを借りて生きて、
そして死ぬのが人間です。
自分一人で、
あるいは夫婦だけで
かっこよく人生を終わることなんて
100%ないんですよ。
「家族が介護するのが当たり前」
と僕は思います。
しかし高齢者自身が
そこに甘えられても困ります。
だって現実にその家族の6割は
「介護なんて誰がするか知らない」
と思っている世の中なんだもの。
高齢者も若い人たちに、
頭を下げるくらいでないと
通用しません。
これは冷たいとかの問題じゃなくて、
実際に昔と違って、
今は共働きの家庭も多いし、
金銭的な余裕がない家庭が
ほとんどだからです。
自分の家族であってもそうだから
遠い親戚なんて、
もっと大変なんですよ。
そういう事情があろうとも、
結局は見てもらわなきゃ
どうにもならない、
それが人生じゃないですか。
「保証人がいない」
んじゃないんですよ。
だって勝手に生まれて、
勝手に育って勝手にずっと
生きたわけじゃないでしょう?
あなたとつながっていた人は
絶対世の中にいたはずなんです。
どこかにはいるはずだったのに、
自分たちで遠ざけた、
そんなケースをたくさん見てます。
介護業界にいる人間が、
年寄りを責めるようなことを言うのは
本当に申し訳ないとは思います。
もちろん僕らはそういう人でも
サポートするようにがんばっています。
でも皆さんがご存知のように
その現場には人もいなければ
国からの満足いく支援も
全然足りていません。
自分たちの老後は
自分たちでちゃんと考えてほしいです。
これは切実なる願いです。