■般若心経は素晴らしい■
利用者さんに俺のことを
「阿弥陀様」
って呼ぶ人がいましてw
「阿弥陀様、今日もお経を
お願いします~」
なんて言うもんだから、
時々読んでたんだよね。
もちろんお坊さんではないので
お経なんてよく知らないんだけど
般若心経くらいなら、
そこそこ覚えているので
たまに唱えてあげたりする。
で、最近ときどきそうやって
般若心経を読むことが増えたんだけど、
普通に読むと意味がわかんないし、
これ本当はどんなことを述べてるんだろう?
と気になって、調べてみた。
するとすげ~良いことを
書いているんだと気がついたよ。
形のあるものは
一時的な形のあるものとして
存在しているだけで、
本当は形がないのと一緒。
ということはすべてのものには
本当は形なんてないのだから
汚れることも清らかになることも
増えることも減ることもない。
だから老いも死も
すべて当たり前にあることであって
そのことで悩む必要なんてないじゃないか?
世の中にあるすべての悩みは
それにとらわれるから
悩んでいるだけじゃないか?
とても簡単に言うと
この有名なくだりがそのことを
よく表わしていると思うんだけど。
色即是空
空即是色
いろ=かたちのあるものは
すなわち、くう=かたちのないものである。
だからくうもすなわちいろである。
訳わかんない?
いや~、でもこれ真実だと思うんだよね。
介護という老いや死と
向き合う仕事をしていて、
どちらかというと
できるだけそれを食い止めるための
役割を求められがちなんだけど、
実際に心の中ではそれを
無理だと感じているのも事実なんだよね。
だってそうでしょう?
老いも死も必ず、
人には訪れるものだからね。
それに俺のような介護士というのは、
ともすると
「相手を変えられる」
って思いこんでる人も多くいる。
自分より人生を積んでる高齢者に対して、
若い俺らが精一杯何かしたら
何かを変えられるんじゃないかと。
中には
「介護は心と心のぶつかり合いだ」
という人もいるね。
でも俺はそうは思ってないんだよね。
心をぶつけ合うくらいなら、
俺のほうが引くから。
心と心で、言い換えるなら
魂と魂でぶつかり合えば、
高齢者を変えられる、
まぁそういうこともあるかもしれないが、
そんなことが本当は必要なのかね?
努力をするなということじゃない。
努力するなら違う方向へ
努力したほうがいいということ。
相手を無理やり変えようとするより、
相手のありのままの姿を認める
ほうが大切なのではないか?
そうやって相手を認められるように、
自分の考えを変えたほうが
ラクなのではないかと。
そんなことを普段感じているんだよね。
介護だけじゃないんだよな。
ほぼすべての事象に言えることかも。
普段そんな感じで生きてるので
般若心経の意味を知ったら、
なるほどとしっくりきた。
本当は難しい話じゃないんだよね。
とても簡単な生きるヒントのような気がする。
これ考えて経文にした人は偉いなぁ。
今では思想の本なんかいくらでも
出回ってるけれど、
このお経が書かれた当時の人にとっては
ものすごく大きなありがたいもので
あっただろう。
俺は特定の宗教にこだわってる
わけではないので、
もちろん聖書なんかにもこうした
生きるヒントというのはたくさん
書かれていると思う。
福音、という言葉もある。
「とてもありがたい知らせ」、
という意味だよね。
どんな宗教も受け取り手次第というか、
そういう意味ではやはり昔から
語り継がれているものは、
ちゃんと真実を内包しているなと
思うのであります。