■許すことが大事■
この世界にはたくさんの人が
存在している以上、
人と人とが衝突することは
多々ある。
許せることもあれば
許せないこともまた存在する。
そんな難しい話でなくとも、
たとえば俺は介護の仕事を
しているが、
この仕事は忍耐力が必要だ。
こちらが良かれと思ってしたことでも、
認知症の方の見ている世界にとって
それが不都合なことであれば、
容赦なく攻撃されることもある。
パンチ、眼つぶし、果ては金的までw
そのたび怒っていたら介護など
できないから、
いくら殴られようともちろん
反撃などはしない。
もちろん仕事だけでなく、
人生全般においてそれの繰り返し。
たとえば女性に恋をする。
裏切られる。
女性は残酷だからね(男もそうか?)w
たいていは許せるし、
これまで全部そうしてきた。
趣味として好きなAKBのスキャンダル。
これもほとんど許せる。
結論からいえば許す、許さないなどは
要するに自分自身の心のみの
問題であって、
自分が許す一歩さえ踏み出せば、
許せることのほうが多いものだ。
昔、キリスト教のパウロや
仏教の親鸞がこんな意味のことを
言っている。
「神(仏)はすべての人の前で平等だ」
「善人が救われるのだから
悪人だって救われる」
イエス・キリストも、
一般市民だけではなく
むしろ罪を犯した人たちにも
積極的に交わっていたというから
根本的にそういうものなのだろう。
異なる宗教の方が同じこたえに
たどりつくことは興味深い。
しかしながら勘違いしては
いけないと思うのは、
だからといって
「どうせ救われるなら、
悪いことをしたほうが得だ」
などと開き直ってしまっては
意味がない。
少々、難しい話になってしまったが
本当に簡単に言うのであれば、
自分の中に他人を許せる気持ちが
あれば、
それだけ平和になるのだろうし、
そんな自分と同じように
相手も自分を許してくれるようになれば、
また平和になるのだろう。
しかし俺も聖人にはなれないなと思うのは、
それでも許せないことというのが
存在するってことだ。
ここ最近、
ニュースを見ていると
あまりにも残酷、不可解、不愉快な
事件が多く実にイヤになる。
さいわい自分の身のまわりで
そこまで許せない事件が起きることは
まれではあるが、
自分の親しいものが傷つけられたとき、
笑って許せるかといえば、
ノーであるとしかいえない。
自分が傷つけられたときは
許せる場合がほとんどだと思うし
そういう人間でありたいと思うが、
自分の大切なものが傷つけられて
ヘラヘラしている奴にはなりたくない。
これは自分でも矛盾していると思うが、
神様でも聖人でもないから
仕方ないのだろう…
人が許せないことを神様が
許してくれる場合もあるのだろうけど、
罪のない人や子供たちを
一方的に傷つけるような人間は
人が厳しく裁いていかねば
ならないと思う。
なぜなら人の社会の法は
やはり人によって作られているのだから。
しかしそんなケースはやはり
人生の中ではまれなだろうから
自分の身に降りかかることについては
できるだけ相手を許せる人間で
ありたいと思う。
そういう仕事をしているしねw