施設のルールとは何だろう | NobunagAのブログ

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◆施設のルールとは何だろう◆
 
介護施設は多くの利用者が暮らす施設です。
 
多くの人がいるということは、
それぞれに生活様式が違って当たり前です。
 
しかしながら一人一人が好き勝手にしすぎたら、
集団生活が成り立ちません。
 
でも介護施設をその人の家であると考えれば、
集団生活である必要はないという見方もできます。
 
もっともグループホームはやはり名前通り
「共同生活」の場所では
あるのですが…。
 
ルールでがんじがらめの施設も世の中いっぱいあります。
 
消灯時間を守れとか、
タバコを吸うな、酒を飲むなとか。
 
うちの施設ではそんなことは強制しません。
 
だけど何でもアリかといえば、
そうでもない。
ただし明確なルールはないしこの先も決めるつもりはない。
 
結局、人が大勢いる場所で問われるのは、
公共性です。
 
何をするにもそこには他人がいる以上、
すべて良識、常識の範囲で、ということです。
 
最近の憲法議論を聞いていても思うのですが、
そもそも公の秩序というのは、
お上が決めるものではないと思います。
 
人はまず自由でいていいのだと思います。
しかし自分が自由でいいように、
相手にも自由がある。
だからお互いに自由でいる代わりに、
相手の領域は犯してはならない。
 
その気持ちが公共性ということでしょう。
 
今もうちの部屋の2Fでは夜なのに住人が
いつものようにハンマーで何かコンコンやってますが、
こういうのは公共性ゼロと言えます。
 
高齢者が大勢いる施設で自由を約束するのは、
非常にリスクがあります。
 
スタッフはイヤがります。
 
たとえば酒飲んで転んだらどうすんの?とか…。
 
しかし飲みすぎないように声かけしたり、
見守りするのが仕事だと思います。
 
それでも転んだら?
 
そりゃ仕方ないでしょう。
家族にもそう言います。
 
だって若い人でも転ぶのだから、
高齢者が飲酒したらそれはリスクが高まって当たり前です。
100%防ぐことはできません。
家族は怒るでしょうけどね。
一応、そのあたりも説明はしてますが、
運よくこれまで大きな事故がないだけで、
見守りが行きとどかず何かが起きる可能性は否定できません。
 
家族から怒られないためにとだけ考えれば、
考えうる危険なことはすべて排除したほうがいいですが、
それは人間の暮らしとは思えません。
 
高齢者向けの罰ゲームみたいな施設で、
一生過ごせなんて、
利用者の身になってみればおそろしい話です。
 
とはいえ、
認知症。
 
この病気は本当に厄介です。
 
先ほど書いたように、
自由であるためには相手の自由も奪ってはならないということ、
それは自由であるために守るべき「人としてのルール」といえます。
 
でも、そのことが理解できる人は少ないです。
 
公共性がゼロに近い人がたくさんいます。
 
だからたぶん、どこの施設も手っ取り早く、
ルールを強化してそのルールが守れなくなったら
出ていけという話にするのでしょう。
 
施設側の気持ちもじゅうぶんわかります。
 
たとえば俺も1人だけを自由にさせるために、
残る17人が苦痛を味わっていいとは思いません。
 
ただ理想だけを述べることは簡単なのですが、
現実はそれだけで片付きません。
 
それでもルールなんかは最小限で、
できるだけ束縛のない施設でありたいと思います。