介護士としての自分を支える言葉 | NobunagAのブログ

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■介護士としての自分を支える言葉■
 
世の中にはいろんな介護の本、
認知症を研究した本などが
多数出版されています。
 
もしかしたら特定の先生や、
特定の人が書いた本を
心のよりどころとか
介護の指針にしている人も
いるかもしれませんね。
 
俺は…読書は好きですが、
ひねくれ者なのであまり他者が書いた、
この分野の書物はあてにしていません。
 
現場でバリバリやっている人が書いた本なら
もしかしたら参考になるかもしれませんが、
たいていは紙の上の知識、
悪くいえば机上の空論が多いからです。
 
本当に現場のことが見えているなと
感じられる著者は片手で数える程度しか
これまで知りません。
 
そんな俺がどんなことを自分の活動の
指針にしているかといえば、
すべて自分の体験、
直接見たこと、利用者や家族から
聴いた言葉のみです。
 
 
ある認知症の方が俺にこんなことを言いました。
 
ちなみに認知症の程度は、
入居当初帰宅願望がすごすぎて
本当に出ていって自宅まで帰ったり、
窓を叩き割ろうとしたくらいの方です。
今ではすっかり施設が気にいってしまい、
家になど帰らん!と言われてますがw
 
軽度~中度、といったところでしょうか。
 
 
「ねぇアンタ、私はおばあさんだけど、
おばあさんじゃないんだよ」
 
「え?どういうことですか?」
 
「だっていつからおばあさんになったんだろうね、
気づいたらどんどん年を取って、
ボケ始めてきて、
いまじゃ何がなんだかわからないことばっかり、
アンタたちにも迷惑かけてるってホントはわかってるよ。
でも、おばあさんになりたくないのに、
おばあさんになっちゃったんだよ、こわいね」
 
「おばあちゃんになりたくなかった?」
 
「みんなおばあちゃんになるからね、ほっといても。
あきらめるしかないだろうね。
でもね、アンタ、
これからもっと
私がおばあちゃんになって、
これからどんどんいろんなことが
わかんなくなっても、
私を人間扱いしとくれ。
どんなにもっとボケてもそうしとくれ。
頼むよ、私のことをずっと私として見とくれね。
こんなことは家族にも言えないよ、
アンタだから言うんだよ」
 
 
実はこの方、
お元気なころはある精神病院の婦長さんを
されていた方です。
 
昔のそういう病院ですから、
利用者というか患者さんの扱いも、
そんなに良くはなかったでしょう。
(一列に並ばせて窓越しに薬を配ってた、
なんて言います)
 
そこで認知症、昔はボケ老人と言ったのでしょうが、
そういう重度な人もたくさん見てきて、
その人たちがいかに人として生きる権利を
取り上げられてきたか、
現実に目にしてきた方です。
 
その人がいざ自分がそういう年、
そういう病気になって、
こういう気持ちを抱いているんです。
 
「家族には言えないよ」
 
と言うのは、
この方かなりプライドも高い方なので
あまり自分の身内に
弱音は見せたくないのだと思います。
 
 
家族にしかできないことがあるように
こうして他人だからこそ知ることができる、
認知症の方の本音というのもあります。
 
 
俺は人の人生とは思いを
人から人へと受け継ぐことにあると考えています。
 
たとえやがては亡くなり、
肉体は滅びても、
その人が長い人生で得たもの、
あるいは死を身近に感じる年になり、
初めて気づいた思い。
 
たとえ認知症の方々でも、
それを一生懸命に俺に伝えようとしてくれています。
この方のように認知症になっても
まっすぐな言葉で伝えてくれる方もいれば、
しゃべれないけど表情、態度で、
いろんなことを教えてくださいます。
認知症になったら何もわからない、
覚えられないなんてウソです。
 
誰の名前も覚えられないけど、
家族のことですら忘れているけど
俺の名前だけは覚えてくれる人、
これまでにもたくさんいます。
アルツハイマーだろうがレビーだろうが
ピックだろうが覚えられる関わりをしたら
覚えてくださる方はたくさんいます。
 
 
たぶん俺はそうした関係を作る中で
お年寄りから得たものを、
スタッフに、あるいはこうしてブログで、
多くの方に発信することもできますし、
やがては俺自身が人生で学んだことを、
自分の子や、自分の周りの者に伝え、
死んでいくと思います。
 
たとえ死んでも、
誰かが思いを受け継いで生きてくれたら、
こんなに素晴らしいことはありません。
 
 
俺がここに書く理想などはほぼすべて、
実際に高齢者が俺にくれた思いを
できるだけ忠実に表現してるだけです。
 
なぜなら俺自身は若いころから介護に
興味があったわけでもなく、
いわば心の中などはいまだにまっさらだからです。
自分に高い理想があるのではなく、
現実に存在するお年寄りたちが
俺に託してくれた理想なのでしょう。
 
 
自分自身にたいした理想などなかった
心の白い空間にぽつりぽつりと、
埋まっていくのはすべて、
自分が実際に見た、聴いた、
お年寄りの思いや願いに他なりません。