【三河上野原の会見】弘治2(1556)年4月上旬(23歳) | しのび草には何をしよぞ

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信長の生涯を綴っていきます。

斯波義銀>画:筆者

 

 弘治2(1556)年4月上旬、信長に擁立されていた尾張守護の斯波義銀は、三河守護の吉良氏・駿河国の今川氏など、足利氏一門の守護同士の盟約を図ることにした。参会の場は三河上野原である。この会見には斯波側に信長が、吉良側に今川義元が立ち会った。この時、互いの顔を初めて確認したのではないだろうか。

 

<吉良義昭>画:筆者

 

 参会の場では両勢の一方には吉良義昭が、もう一方には斯波義銀がそれぞれ陣前に床几を据えていたというが、互いに足利一門最高の格式を誇る家柄同士であったことから席次を巡って争い、双方とも譲らなかったため、対面は相互に十歩程度前へ出て顔を合わせただけで、格別の挨拶の品もなく終了したという。この会見は石橋義忠の戸田館において行われたとする書もあるが、真偽は不明である。