不思議な体験
先日家で母と会話していた時に、母の過去の勤務先の話になった。
母の古巣とは母が高校卒業から結婚するまでに勤務した「社会福祉法人恩賜財団済生会 山口県支部済生会下関総合病院」の事である。
相変わらず正式名称が長いこと(溜息)。
私もステリン様製造業と言う事もあり時々報告書を書くことがあるがこの医療機関の時は少々大変である。
京都市内の住所を書くよりはマシですが。
内容はわが姉の事であるが、私が長男で一番上の子になるので実際には姉はいないのだがここで時々話す「スープの冷めない距離に住む従姉妹」の事である。
従姉妹・・・ここから先は姉と称します。
姉は成人してから特定疾患にり患し山口労災病院(当時)から「お帰りはステリンになってから」と宣告された身であるが今のところステリンにはなっておらず小学生の孫を持つおばあちゃんになっている。
そんな姉が入院していたのも母の古巣であるこの病院なのだが、以前にも話した私の特殊な性癖の切っ掛けになった話の内容が鮮明に思い出せれたので書こうと思う。
あの体験をしたのが幼少期と書いていたのだがどうも幼稚園児の事ではなく小学校1年~2年生の時だったようだ。
何故なら小学校入学時の健康診断で心電図に異常値が発見され市内の検査機関を盥回しにされたことがあるからだ。
今は廃院して市大の看護科一部となった旧下関医師会病院やこの病院で入学してから夏休みに入るまで何かしら心電図の検査を受けていた。
そのことを思い出した時あの不思議体験を思い出したのだ。
当時の済生会下関病院は椋野トンネル側の新館(現特別養護老人ホーム貴船園)と本館に入院病棟があったのだが売店は本館の一階にしかなかった。
当時姉は本館に入院していて母から小銭を貰い「売店でジュースを買っておいで」と言われたので勝手知ったる院内を歩いて売店に向かった。
当時の済生会下関の本館にはエレベーターが1基しかなくそれも寝台用が1基だけという状況だった気がする(違うかもしれないけど)。
そのエレベーターに乗り込んだ時にあの体験をしたのだ。
エレベーターにはストレッチャーか病室のベッドと看護師さんが乗っており2階で降りたと言う事である。その患者さんは男性でガーゼ地の浴衣を着ており頭には不織布製のグリーンのキャップを耳まで入れて被っていた。その表情は緊張した面持ちだった。
2階には手術室が有ったので降りて行ったのだと思う・・・。という内容だったが、
ここで謎が見つかる。
・小学2年生の時に不織布が存在していたのかと言う事だ。
私が実体験で手術を受けたのは平成元年の4月1日の時だがこの時点で手術患者の頭髪落下防止措置は三角巾を用いた頭部固定法(包帯方)や布製の手術帽を用いてたはずなのにこの当時に不織布製のキャップを用いていた事を考えると辻褄が合わないのである。
・ベッドの患者を見ていたという点、
小学2年生の身長でベッド上の手術患者の様子が見れたというのも少しおかしいのである。確かに私は幼少期から身長は高い方であったが小学2年で見れる身長であったかは謎である。
う〜ん?書いてみたら謎だらけだ。
同様な体験を今から13年前にも体験してはいるがこの話は別である。
思えば思うだけ謎が深まる話だ。
うっ、また頭痛が増してきた。
このことを考えるのはよそう。
と言う訳で謎の解明はもう少し先になりそうである。
ってま~た途中で支離滅裂になりましたが
よくよく考えて見ると、
少し疑問点が残った記憶と言うことになる。