蜂窩織炎、



初めて診断されたのは平成19年の9月のこと、肺炎に近い症状で掛かり付け医に行ったら、酸素飽和度が逝去寸前並みの数値を叩き出したので母の古巣の済生会病院に救急搬送されそのまま入院。


検査の結果肺炎では無い事が判明するが高熱の原因が特定出来ずにいた。髄液検査をしても異常なし、抗原検査は炎症反応だけが鰻登り状態一先ず抗生物質を輸液投与する事に。


そうしていたら左膝下からの皮膚が真っ赤に腫れ上がってその箇所から膿が漏出したので病名がやっと判明した。それが「蜂窩織炎」との出逢いでした。しかしこの時に問題が発生!使用していた抗生物質が原因で薬疹が起きてしまい「セフゾン」が使用不可になりました。


それから2年後の平成21年の6月、再びあの左脚の症状が出てしまい今の掛かり付けの市民病院の整形外科に入院。症状が落ち着いたので退院し通常の生活を過ごしていたら…盆明け位に再度同じ症状が出てしまい再入院!コレが原因で同病院の整形外科から出禁を喰らう。


それから5年後の平成26年9月に又もや発症、今度は母の古巣の整形外科に入院。その後は蜂窩織炎が出ないまま健やかに暮らせてました。


が!しかし!


それから4年半後の平成31年(令和元年)3月、出向先の施設の感染隔離棟の片付けを行ったその日に急な発熱で身体が動けなくなり何とか帰宅して掛かり付け医に連絡。受診した結果、蜂窩織炎と判明し市民病院の皮膚科へ入院。しかしこの時今の主治医から蜂窩織炎が年周期で繰り返すのを不審に思い検査するも原因の特定ができず抗生物質(セフゾン使用不可によりバンコマイシン)を使用していたら退院直後に再び薬疹が発症してしまい「バンコマイシン使用不可」となる。


それでも繰り返す蜂窩織炎、原因の特定が出来ないまま自宅療養していた時にふとした事で左脚下肢に擦過傷を負った際に傷口から血ではない無色透明な液体が出てきた事で根本的な原因が判明した。


それが…「リンパ浮腫」という疾患。


蜂窩織炎を発症する様になってから左脚が浮腫む様になっていた。最初はネフローゼ症候群を疑った(先天的に腎機能障害がある)がコレも違ったらしい。尿蛋白は高値だったが病院の検査では正常値が続いていた。


ではなぜリンパ浮腫になっていたのか?


それは幼少期の交通事故による悲観的骨折手術が原因という線が濃厚との事だった。この手術の時にリンパ管を損傷してしまい…ガーン。らしいがそもそもリンパ管が存在していない可能性も捨てきれずといった状況だった。


こうなると掛かり付けの皮膚科ではどうも出来ないので広島大学病院に行く事に。そこで受診した結果、重度で末期のリンパ浮腫である事が判明。


〜リンパ浮腫の話はこのブログの

    「リンパ浮腫治療編」をご覧下さい〜


その後蜂窩織炎も影を出さないでいた筈なのに…ガーン


2年後の令和3年3月に再び発症!リンパ管吻合術後初めて罹患で緊急入院!使える抗生物質が殆ど無い状態で使用したのが1パック¥8000円もする抗生物質を略1週間使用した。流石に高額療養費制度を使用しないと薬代だけで¥140,000円+入院費で一体いくらになっていたのか…ガーン🥶ゾッとしました。


その後9月、11月と蜂窩織炎で倒れていた。流石に点滴静注はコストが高過ぎるという事で在宅療養に切り替わった。在宅療養になると入院費が出ないのでお財布に優しくないが、薬代は優しくなった。


そして今年、1月末に蜂窩織炎で倒れてしまい在宅療養を余儀なくされた。でまた今月いきなり蜂窩織炎の発作が脚に起きたので予備で持っていた抗生物質を飲んで様子をみていたら…左脚の皮膚の下がピリピリしだしたので幹部を観察していたら…ガーン滝汗悲しい足が真っ赤に腫れていた。そして昨日夜勤明けに病院に飛んで行ったらやはりの結果でした。ただ今回は発熱が無いのが救いだった様で、仮眠時に座位で仮眠するのは不可(禁止🚫)となりました。やはり原因は疲れが蓄積され過ぎたのが原因との事でしたが、どうも何か私の身体の中に真犯人が眠っているニュアンスを言われました。


それから毎日抗生物質を服用しています。今度は寝込むとリストラリスト掲載確定してしまうので眠れる獅子(蜂窩織炎)がこれ以上暴れない様に大人しくさせておきたいものです。


今のところ、強烈な寒気と眠気に襲われる以外はなんともありません。


昨日病院からの帰り道又もや強烈な眠気に襲われました。強烈な寒気は無かったので救われましたが眠気に襲われふらふらしながら帰宅してました。


この強烈な眠気は過去に一度だけ仕事場で起きました。寒気が昼過ぎから起きてしまいそのままバタン。流石に誰にも見られていなかったのが救いでした。


この強烈な寒気&眠気が無ければ平和に過ごせるのてすが…悲しい


私はこの蜂窩織炎で命を落とすことになると思います。そしてあと一年しか生きられないと感じています。


来年このブログが続いていたら…ニコニコ


と願うばかりです。