昭和20年の今日は長崎に原爆が投下された日です。
戦争っていうのは、哀しくて恐ろしいものですよね。
戦争も外交手段のひとつですが、ひとたび始まってしまえば民間人も犠牲になってしまう。特に現代の戦争は大量殺戮兵器がさまざまありますし…
払う犠牲のことを考えると、使わないに越したことはない外交手段だと思います。
6日の広島原爆忌、今日、15日の終戦記念日もある今月は戦争と平和について考える月です。
戦争と平和といえば、「憲法改正」が取りざたされています。
特に注目されているのが憲法9条「戦争放棄」についての条文です。
この9条があるから、自衛隊は実質軍隊でありながら軍とは呼ばれない。存在し、災害時や様々な時に活動してもらっていながら「憲法違反な存在」だと言われたりする… これを不思議だと思ったことはないでしょうか。
戦後70年を過ぎて、戦争を知らない世代が主になったこの国で、戦争を知らない故に「平和なのが当たり前」になっているのではないか、と時々思います。
憲法9条を堅持しさえすればこの国が戦争に巻き込まれることはない、本当にそうなんでしょうか?
永世中立国として知られているスイスには軍隊があります。一般市民もほとんどの方が武器を使えます。いざという時があれば自分の国の平和や自分の身は自分で守らなくてはならない、と考えられています。
一方この国はどうでしょうか。
自衛隊が実質軍隊であることを認めようとはしない。武器を使えるどころか実際に見たこともない人が殆どでしょう。そして「子供を戦場へは送らない」と声高に叫ぶのですが、いざという時自分の国の平和や自分の身はいったい誰が守るのかという想像さえしない、かと言って、「戦争はしない。たとえ攻撃されても自分たちの手で人を殺すことはない。応戦もしない。ただし、占領されても決して服従しない」というくらいの非暴力不服従的な覚悟があるわけでもないんでしょう。本当に大丈夫なんでしょうか、この国は。
憲法改正反対! 日米安保反対! 戦争法は廃案に!
はいいんですが、その先、いったいどうなるだろう… とは思いませんか。
軍隊を持たず、他国の軍隊の駐留も認めず同盟も結ばず、NPO活動にも自衛隊は決して派遣せず… というなら有無を言わせず攻め込んでくる国や勢力があった場合、自分の国は自分たちだけで守れますか? 同盟を結んでもいない国のためにボランティアで守ってくれる他国なんてまずないと思います…
戦争を礼賛するつもりはありません。人を殺すのがいいことだとは決して思いません。戦争が起きてほしいなんて全く思っていませんが、戦争を望まない、それだけで戦争は回避できるのでしょうか。それだけで平和はずっと続くのでしょうか。
武装が必ずしもいいことでないのも分かっています。武器を持ち、使い方を知り、技能を身に着ければそれを使って見たくなることもあるのかもしれません。武装にかけるお金を他のことに使えるのではないかと考えることも勿論あります。
(自分でも正直よく分かってはいないんです。)
でも、分からないながらも考えなくてはいけないことだと思うんですよ。憲法9条さえ堅持すれば平和が続くのならそれはとてもいいことですが、戦争というのは相手があることなんで、相手が武力に訴えて主張を通そうとするとき、平 和を守るためには何ができるのか、きちんと議論をして話し合いで解決できる対話力があるのか、もしそれで解決しない場合、どんな交渉をするのか、自分の国 や家族は誰が守るのか、守れるのか… 仮定にしても考えてみなくてはいけないんじゃないかと思います。
ただ… 分かっているのは
「平和」はタダでも当たり前でもないぞ!
ということです。
この平和で穏やかな暮らしを続けて行くためには何が最善かというのは、ことあるごとに頭をフル回転させて考えなくてはいけないことだと思います。(常にフル回転させるのは難しいですが^^; )
憲法改正についての国民投票が具体的になる前に少し真面目になって考えてみるのも必要なんではないでしょうか。
なんかまとまりなくなってきた…
この辺にしてちょっと逃亡しまふ…^^;
ではでは^^
8月10日 追記
… 阿呆だよぁ~^^; NPOで自衛隊は派遣しない(
)
それを言うなら「PKO(平和維持活動)」だ…
連日の猛暑と珍しく真面目に頭を使ったのとで疲れていたらしいです。訂正してお詫びします^^;
戦争っていうのは、哀しくて恐ろしいものですよね。
戦争も外交手段のひとつですが、ひとたび始まってしまえば民間人も犠牲になってしまう。特に現代の戦争は大量殺戮兵器がさまざまありますし…
払う犠牲のことを考えると、使わないに越したことはない外交手段だと思います。
6日の広島原爆忌、今日、15日の終戦記念日もある今月は戦争と平和について考える月です。
戦争と平和といえば、「憲法改正」が取りざたされています。
特に注目されているのが憲法9条「戦争放棄」についての条文です。
この9条があるから、自衛隊は実質軍隊でありながら軍とは呼ばれない。存在し、災害時や様々な時に活動してもらっていながら「憲法違反な存在」だと言われたりする… これを不思議だと思ったことはないでしょうか。
戦後70年を過ぎて、戦争を知らない世代が主になったこの国で、戦争を知らない故に「平和なのが当たり前」になっているのではないか、と時々思います。
憲法9条を堅持しさえすればこの国が戦争に巻き込まれることはない、本当にそうなんでしょうか?
永世中立国として知られているスイスには軍隊があります。一般市民もほとんどの方が武器を使えます。いざという時があれば自分の国の平和や自分の身は自分で守らなくてはならない、と考えられています。
一方この国はどうでしょうか。
自衛隊が実質軍隊であることを認めようとはしない。武器を使えるどころか実際に見たこともない人が殆どでしょう。そして「子供を戦場へは送らない」と声高に叫ぶのですが、いざという時自分の国の平和や自分の身はいったい誰が守るのかという想像さえしない、かと言って、「戦争はしない。たとえ攻撃されても自分たちの手で人を殺すことはない。応戦もしない。ただし、占領されても決して服従しない」というくらいの非暴力不服従的な覚悟があるわけでもないんでしょう。本当に大丈夫なんでしょうか、この国は。
憲法改正反対! 日米安保反対! 戦争法は廃案に!
はいいんですが、その先、いったいどうなるだろう… とは思いませんか。
軍隊を持たず、他国の軍隊の駐留も認めず同盟も結ばず、NPO活動にも自衛隊は決して派遣せず… というなら有無を言わせず攻め込んでくる国や勢力があった場合、自分の国は自分たちだけで守れますか? 同盟を結んでもいない国のためにボランティアで守ってくれる他国なんてまずないと思います…
戦争を礼賛するつもりはありません。人を殺すのがいいことだとは決して思いません。戦争が起きてほしいなんて全く思っていませんが、戦争を望まない、それだけで戦争は回避できるのでしょうか。それだけで平和はずっと続くのでしょうか。
武装が必ずしもいいことでないのも分かっています。武器を持ち、使い方を知り、技能を身に着ければそれを使って見たくなることもあるのかもしれません。武装にかけるお金を他のことに使えるのではないかと考えることも勿論あります。
(自分でも正直よく分かってはいないんです。)
でも、分からないながらも考えなくてはいけないことだと思うんですよ。憲法9条さえ堅持すれば平和が続くのならそれはとてもいいことですが、戦争というのは相手があることなんで、相手が武力に訴えて主張を通そうとするとき、平 和を守るためには何ができるのか、きちんと議論をして話し合いで解決できる対話力があるのか、もしそれで解決しない場合、どんな交渉をするのか、自分の国 や家族は誰が守るのか、守れるのか… 仮定にしても考えてみなくてはいけないんじゃないかと思います。
ただ… 分かっているのは
「平和」はタダでも当たり前でもないぞ!
ということです。
この平和で穏やかな暮らしを続けて行くためには何が最善かというのは、ことあるごとに頭をフル回転させて考えなくてはいけないことだと思います。(常にフル回転させるのは難しいですが^^; )
憲法改正についての国民投票が具体的になる前に少し真面目になって考えてみるのも必要なんではないでしょうか。
なんかまとまりなくなってきた…
この辺にしてちょっと逃亡しまふ…^^;ではでは^^
8月10日 追記
… 阿呆だよぁ~^^; NPOで自衛隊は派遣しない(
) それを言うなら「PKO(平和維持活動)」だ…

連日の猛暑と珍しく真面目に頭を使ったのとで疲れていたらしいです。訂正してお詫びします^^;