暗殺教室20巻 発売。

意表を突かれたなぁ… 偶数巻だから柄入り、どんな柄かなぁ… と思っていたんですが、こう来るとは… 
松井優征先生、流石です。完全に殺られました(笑)


緑の中、ほのぼのした殺せんせーの顔、青空にかかる虹… これは、愛する生徒たちの成長を見て、満足して頷く殺せんせーの心象なんでしょうか? なんだかほんわか… 本編のストーリーとのギャップがまたいいなぁ…
サブタイは「卒業の時間」、いえ、サブタイ見るまでもなく、この巻にはあのシーンが入るのは分かっているんです… それが「卒業」…
作者の松井先生は、冒頭からそのシーンを念頭に置いて連載を続けていらしたそうです。

 
実は私は、殺せんせーの過去編を見たときに、ふと、とある仏教の天部の神様を思い浮かべてしまったんですが、更に物語が進んでから、それまでの話を振り返った時に、ますます殺せんせーとその神様が重なって見えて仕方がなかったんです。で、私の中では殆ど同一視してしまっているんですが… (名前を挙げると叱られそうなので名前は公表しないでおきます^^;) 
最近になって紙彫佛にハマった理由の一端も、もしかしたらその辺と繋がっているかもしれません。


それと、次の最終巻に入るはずの番外編、「殺せんせーの私生活」で、私が以前から、非常に有名な「とある名作」に対して感じていた、かすかな違和感、その理由が腑に落ちたんですよ。


それやこれやを思うに、感じるのは「ご縁」ということです。
きっかけが何だったかは覚えていませんが、「暗殺教室」を読み始めて、読み続けて、「殺せんせー」と出逢ったご縁、が、なんだか不思議に色々な物事と繋がっている… それが 「とてもありがたい」ことだという気がするんです。
読んでいる最中には、細かい展開についてとか、殺せんせーの運命についてとか、色々思っていたことがあったんですが、物語の終わりを迎えて振り返ると、すべてがきちんとあるべき形に収まっていることに気付かされました。
私は以前は同人誌に手を染めたことがあり、空想癖も強くて、気に入った小説や漫画、アニメのサイドストーリーを考えるのが好きでした。いえ、好きというよりほとんど癖のような感じで(笑)  でも、「暗殺教室」と殺せんせーについてはそれがまったく必要なかった… それも私としてはとても不思議なのですが、「必要にして充分」 そんな言葉が頭に浮かびます。
でも、サイドストーリーではない、作中の描写や台詞、出来事に対してはものすごく深く考えることが多くなっていて、それは物語が終わった後も続いています。(この後もしばらくは続くような気がしてもいます。)


少年漫画というジャンルにあるこの物語からいい年して結構な影響を受けているというのも傍から見れば可笑しいかも? でも、本当に「暗殺教室」と「殺せんせー」に出逢えてよかったと思います。



実は、この項、下書きをしたのは2日の夜です。
コミックス発売日の3日、午前に読み直してアップする予定でいて


「午後には20巻を買いに本屋へ行く予定… 読んだら、本誌で既読なのに、だから知っている展開なのに、きっと泣くと思います。
大泣きに泣いて使い物にならないかもしれないので  とりあえず  この項も先に更新しておきます… (苦笑)」


と記述してました。でも、3日、想定外のことが起きて更新ならず。(本屋にも行けませんでしたが、そんなの大したことじゃないという感じでした。)
夜も翌日もブログ更新という心境にはならず… やっと今日になってアップできました。

しっかし… 何が起きるかわからないよなぁ… 
平穏で何事もない日、というのはつまらない日ではなく、とても有難いことなんです。… (というようなことを先月も書いたっけ… まだ自覚が足りてなかったよなぁ。)
 
とりあえず落ち着いたのでブログ更新できております。
想定外はもう欲しくないですねぇ… 

ではでは^^