コミックス未収録のエピソードに触れる場合、ネタばれ注意、とタイトルに入れないと怒る方も結構いるらしい、ので。一応。

ブログリニューアルで、1発目の記事がこれ 
まぁ、もっとも、こんなのが私です、って言えばその通りですね、はい。

昨日発売の週刊ジャンプで掲載の177話で殺せんせーが亡くなられました。
最終回まであと3回。(卒業式・エピローグ・後日譚という構成かと予想していますが)

読み始めてから、本誌記事と並行して、ネタバレサイトや感想記事も読んで、自分なりに色々考えながらストーリーを追ってきました。
読み始めは単に「この設定ちょっと面白いな」だったんですが、既刊のコミックスを揃えて振り返りつつストーリーを追っかけるようになったら、それにつれて自分の中でどんどんどんどん「殺せんせー」の比重が増してきて、「可愛い~」 ってやたら盛り上がって
親しみやすい見た目とか、描かれ方とかに関しての要するにキャラクターとしての愛着… と、しばらくは思っていたんですが、物語が進むにつれてちょっと違う色合いも見えてきたりしました。

「殺せんせー」は、とにかく素晴らしい先生でした。
完璧じゃない、欠点や弱点もてんこもり… で、(作中(既刊コミックス)でも語られていますが、)実は前身は「死神」と呼ばれた殺し屋 だったんですが… 
でも、読み返しても、読み返しても、私は、まだ、彼を責める言葉を見付けられずにいます。
人を殺すのは、いいことか悪いことか、と言われれば、たいていの人は『悪いこと』と言うと思います。(最近は『分からない』と言う比率が増えつつあるらしい) 私も『いいこと』だと思っている訳じゃないんですが… 
「殺せば人は死ぬ」という事実以外に信じられないような環境で生き、(戸籍もなく、自分の生年月日も知らず、親につけて貰った名前も分からないままで)生きていく術として「殺し屋」という仕事を選んだ… そして、たまたま「才能」があった故に「死神」と呼ばれる殺し屋になった… 傍から見て、「それでも人を殺しちゃいかんでしょ!」と言うのは簡単ですけど、もし、自分がそんな状況下に居たらいったいどうだったんだろう… まで考えてしまった私はこの件に関して、未だぐるぐる螺旋思考から抜けられずにいます。
作者様の意図とは違うかもしれませんが、殺せんせーの姿(生き方)は、仏教の天部の神々の姿と何か重なるような… という思いもしてきているんですよね~。「悪に強きは善にも強し」「善人尚もて往生す いわんや悪人をや」という言葉もありますし…

(閑話休題。とあるネタバレサイトで、「こいつ、生かしておいちゃ駄目だろ。殺された人の気持ちも考えろ。」 という内容のことを書いていた人がいて、その後に、作中で、殺せんせーを殺そうとするプロジェクトの指揮官が、殺せんせーが以前殺し屋だった事実に触れ、「殺された人の気持ちも少しは考えたまえよ」 とまんまな台詞を言っていたシーンがあって「ステレオタイプだぁ~」って大爆笑してしまったんですが。)

同じ漫画を読んでいても、登場人物の気持ちに寄り添う読み方をする人もいれば、冷静に外の世界から眺める人もいる。とにかく、描かれた状況を見つめるのに精一杯で本気でドキドキしたり、怒ったり泣いたりしちゃう人もいれば、「ありえない」「つまらない」「ご都合主義で呆れる」と突き放した意見を言う人もいる。どんな読み方をしても、ともに物語を追い続ける限りはファンです。
最新話、殺せんせーが死ぬシーンを見て「ざまぁ!」発言をしている人もいたんですが それでも、物語を追っていて、シーンを見たからこそ言えた言葉なら、やっぱりファンには違いないわけで… (ちょっと複雑ではありますが。)

そんな繋がりも、終盤までカウントダウン… 盛り上がりも収束へ向かっている人もいるんでしょうねぇ。

連載が終わり、映画もアニメも終わり… した後、この気持ちはどこへ行くんだろう… とか、考えている昨今ですが、殺せんせーを愛おしく思う気持ちは、何か徐々に形を変えつつ生き残っていきそう… だって、今現在、既に「虎愛<殺愛」だったりするんですよね~(笑) (石投げられそうだな^^;)

ではでは^^