時は流れるもの… 1年経つのなんて、本当にあっという間。
この日がまた巡ってきた。
3月11日。
普通なら、この季節は新しい年度を前に、春を感じ、新たな光、新たな日々を夢見る頃…
でも、この日ばかりは春間近、という明るい思いとは違うものが胸に兆す日になってしまった。
それでも、「忘れたい」と思ったり、本当に忘れてしまったりしてはいけない日なのだと思う。
亡くしたものを思い、失った痛みとともに感じた、命への思い、生きていることの不思議と有難さ、絆というもの… 忘れていた大切なものを思い出させられた日でもあった筈だから。
気付かずにいたものに改めて気付かせられた日でもあった筈だから。
こうして、ゲームをしたり、ブログを書いたりしている何気ない日々の中でも、考えさせられることは色々あった。
誰かが書いたコメントにこういう内容のものがあった。
「こっちだって被害があったのに、「被災者のための募金をお願いします」って街角で聞いて、「ふざけるな!」と思った。でも、ゲームをしている中で課金をしてそれが募金に結びつくのは面白いし意義があると思った。こういうことなら大いにやったらいいと思う。」
直接募金を募るのに対しては「ふざけるな!」と思い、ゲームの中での課金が募金に結びつくのは「面白い」そして「大いにやったらいい」??
ポケットの小銭を募金箱に入れるのは腹立たしくて、ゲームに課金するのなら惜しくない。そう読めて、微かに苛立つような、傷ついたような気持になった。でも、改めて考えれば「他人は他人」だ。
些細な言い回しにいちいち傷つくなんて阿呆らしい。出来ることをしない自分になら腹立たしく思い、そう思いつつ、具体的に動けずにいる状態に哀しく思ったり傷ついたりしても不思議ではないけれど。
本当の意味で、自分は何を見、何を感じて、何を分かったのだろう…
百聞一見… 距離的にはさして離れていない場所にいるのに、実際の被害を自分の目で見たわけでもなく、映像で見て分かった気になっているだけ、それで本当に何が分かるのだろうか。
そんなことを一隅では思いつつも、考えることは無駄ではないとも思う。
人間には想像力が与えられている。そのことの意味。
本当に突き詰めて考えることができるなら、体験していなくても体験した者の思いにある程度までは迫れる。実際に知ってはいなくとも思いやれる。推し量ることができる。そうするためにこそ、想像力というものはあるのではないだろうか。(まぁ、欠落者はいるだろうけれど^^;)
想像力を本来の意味で遣えるならば、大切なものをたくさん失って故郷を遠く離れている、帰りたくても帰れずにいる人がそばにいるその時、その人に「帰れ」とか「ここから消えろ」とかは間違っても言えないはずだし、こんな状況下、「がれきはいらない!」もねぇ…^^;
また一年経ってまたこの日が巡ってきたとき、その時はもう少しマシなことを考えているだろうか。
その時は… 光に向かって歩いている、そんな実感を果たして持てているのだろうか…
そうであってほしいと願っている。