スタンリー・キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』の展示会を紹介! | 細木信宏の良い映画を観よう!

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フィルムスクール卒業後、テレビ東京の番組「モーニングサテライト」のニューヨーク支局を経て、アメリカ国内枠で数々の映画を取材し、シネマトゥデイ 、映画.com、リアルサウンドに寄稿。自身の英語の映画サイト、https://cinemadailyus.comも立ち上げた。

お久しぶりです。最近、オスカー前の取材の連続で、ドタバタしてまして、ようやく時間が取れたので、先日、お話したニューヨークの映像博物館で始まったスタンリー・キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』の展示会について紹介したいと思います。

 

その前に、まずは映画情報から。

 

1)大ヒットした映画『リーサル・ウェポン』シリーズ第5弾が、オリジナル・キャストのメル・ギブソンとダニー・グローヴァー出演で製作されるようです。30年以上も続くこのシリーズで、彼らを引き継ぐ新たなキャラクターが出てきそうですね。ダニー・グローヴァーの名台詞、「I'm Getting Too Old for This Shit」が再び聞けそうです。

 

2)日本の人気漫画『ONE PIECE』の実写化シリーズの制作で、Netflixから正式にゴーサインが出たようですが、

主演は、映画『スター・トレック』シリーズのジョン・チョウ。日本人じゃないのか?という感じです。もっとも原作の尾田栄一郎さんも関わるようで、映画『DRAGONBALL EVOLUTION』のように失敗しないことを願いばかりです。(事実、失敗したの映画は、映画『ソウ』シリーズ、『死霊館』シリーズ、『インシディアス』シリーズを手掛けた才能のあるジェームズ・ワンだったんですけれどね)

 

3)アップルとNetflixが、映画『007』シリーズなどを手掛けてきたMGMの買収交渉にそれぞれ入ったようです。Netflixが買収しても、それほど驚きませんが、アップルが買収したら、ディズニー、Netflixに次いで、映画・TV製作、配信をやることになり、大きな会社がまた映画制作に参戦することになりそうです。

 

4)あとは、「ロックマン」の実写化、長年、頓挫していた映画『クロウ-飛翔伝説-』の再始動、ブラッドリー・クーパーが音楽家レナード・バーンスタインの伝記映画を企画し、自ら主演・監督を務める話も出ています。ジム・キャリーが『マスク』の新作に意欲を示しているのも気になりました。

それらは、下記の僕の記事を読んでいただけたら、詳細が分かります。

ジム・キャリー https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200129-00000026-flix-movi

「ロックマン」の実写化 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200127-00000020-flix-movi

ブラッドリー・クーパー https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200126-00000008-flix-movi

 

さてここからは、スタンリー・キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』の展示会を紹介します。

スタンリー・キューブリックの娘カタリーナ・キューブリックもイベントに登壇して、父親との思い出を語ってくれました。

 

スタンリー・キューブリック監督作「2001年宇宙の旅」をテーマとした展示会「Envisioning 2001:Stranley Kubricki's Space Odyssey」が、このほどニューヨークの映像博物館で開催され、キューブリック監督の娘カタリーナ・キューブリック、同博物館キュレーターのバーバラ・ミラーがトークに臨んだ。(取材・文・細木信宏/Nobuhiro Hosoki)

 同展示会は、フランクフルトのドイツ映画博物館、ロンドン芸術大学のスタンリー・キュブリック・アーカイブ、ワーナー・ブラザースの協力を得て開催されたもの。会場では、キューブリック監督が参考にした映画「月世界征服(1950)」「禁断の惑星」「プラン9・フロム・アウタースペース」の視聴コーナー、アーサー・C・クラークとの写真や彼に向けた手紙、アメリカ空軍への質問、MGMのプレスリリース、脚本の草稿がずらり。“ヒトザル”の衣装やHAL 9000、絵コンテ、衣装のデザイン画、実際に使用された宇宙服も展示され、“キューブリックの思考”を垣間見たような気分にさせられた。

 「2001年宇宙の旅」は、「ニューヨークが原点となった映画」と説明するミラー。「当時、ニューヨークに住んでいたスタンリーは、スリランカに住んでいた原作者のアーサー・C・クラークと連絡をとり、映画のアイデアを語り合ったの。それから、後にスタンリーの制作会社『ホーク・フィルムズ』の副社長となるロジャー・カラスらとともに“新たなSF映画”を企画していきました。やがて、64年の5月から企画が本格的に立ち上がり、約1年間をかけてストーリー構成に専念しました。アーサーはチェルシーホテルで小説版を執筆し、スタンリーと一緒に、セントラルパーク西部にあるプロダクション・オフィスで構想を練っていたわ」とバックグラウンドが紹介された。また、キューブリック監督は、60年代にニューヨークで上映されていた宇宙関係の映画に興味を示していた。

 ミラー「64年、ロサンゼルスを拠点としたグラフィック・フィルムズという会社の映画『To the Moon and Beyond』が、ニューヨークのワールドフェアで披露されました。スタンリーは、(同作の)宇宙の描写に感動したの。グラフィック・フィルムズは、もともとNASAのために撮影を行っていた会社で、これまでのSF映画とは、かなり異なったアプローチをしていたんです。スタンリーは、グラフィック・フィルムズに連絡し、彼らに『2001年宇宙の旅』のコンセプト・アートを手掛けさせました。(SFXスーパーバイザーの)ダグラス・トランブルもここで働いていて、いつしか彼が直接スタンリーとロンドンで働くことになっていったんです」

 「2001年宇宙の旅」が不朽の名作となっていく過程を、撮影現場で目撃していたカタリーナ。「ロンドンにやってきたのが、64年。映画の会合が開かれるまで、私たち家族はしばらくホテルで暮らしていました。やがて、スタジオが近くにあるボアハムウッドの家に住み始め、セットに通うようになったの。あの映画の美術部門は、まるで巨大な芸術大学のようでした。ダグラス・トランブル、コン・ペダースンらは、スタンリーから自由を与えられ、今までの映画では“見たことのない何か”を考え出していったわ」と振り返り、現在でも高い評価を得ている理由を述べた。

 カタリーナ「あの映画は『何を考えるべきか』『あなたとは誰なのか』『どうやってあの映画を受け入れれば良いか』ということを教えてくれないからです。手作りの映画であり、未知のことを扱った極めてまれな作品。スタンリーの“不可知の存在への敬意”だと思っています。彼は、それを観客に感じ取って欲しかったと思うの。観客にどのように考えれば良いかという説明はしなかったし、一度もエンディングの解説もしなかった。それを行うことは、観客のイマジネーションを奪ってしまう行為です。誰もが、他の人と異なったものを、あの映画から見出しているはず」

第71回カンヌ国際映画祭では、クリストファー・ノーラン監督が監修を務めた70ミリフィルム版が上映された。カタリーナは「(作業の過程を)ノーランがまるでオタクのようにハマっていく姿が微笑ましかった」という。「それはまるで14歳の私が『2001年宇宙の旅』をロウズ・シアターで初めて鑑賞した時(68年)のようだった。当時、私を含めた3人の娘たちは、最前列に座っていました。満席の室内にいたのは、様々な宝石を付け、異なるヘアスタイルをした人々。ほとんどの人は(内容を)理解できず、席を立っていきましたね。後ろの方の席に座っていたスタンリーは、がっかりしていたようです。でも、私たちは『これがずっと手掛けていた映画なのか!』と驚かされ、お気に入りの作品になったの。“新たな体験”をすることに寛容な人たちも、気に入っていた。特に若者たちが評価し、今でも多くの人が語り継いでくれています」と語った。

 かつて、コメディ集団「モンティ・パイソン」が同作をパロディ化。さらにエルヴィス・プレスリー劇中楽曲をコンサートで使用していたが、キューブリック監督はこのことを容認していたのだろうか。

 カタリーナ「スタンリーは、ある意味、究極の映画オタクよ。長年“映画の生徒”でもあったから、どんな映画でも見ていました。写真雑誌『ルック』で働いていた頃から、アート系映画を近代美術館で見ていましたし、彼は多くの作品から影響を受けていたの。それに“スタンリー・キューブリック”として名を馳せてからは、気に入った作品の監督を呼びつけて、知恵を借りようとしていました。だから、誰かが自分の映画に影響を受けて“新しいこと”をやろうしていたら、スタンリーはとてもハッピーになっていたわ。実は『2001年宇宙の旅』が公開され、自分の元に届いたファンの手紙を、彼は全部集めてました。特に気に入っていたのは、24枚にも及ぶ映画の解釈を記した手紙でした」