【し】

・食卓【しょくたく】

とある有力候補の選手が大会の決勝で惜しくも敗退してしまった。
この手の報道のあり方と云うものについては、
今更語るまでもなく矢継ぎ早に議論が交わされて居るのだけれど、
兎に角テレビのキャスターは、残念ながら銀、と結果を語った。

母はこう云うとき分かり易い人間なので、
必要以上に大きな声で取り逃した金を悔しがって居て、
僕はこう云うときの反応が曖昧な人間で、
受け止め方が分からず固唾を無理に呑み込んで終わる。
ふと父や兄なら、こんな時分にどんな反応をして居たのだろうか、
そんな疑問がふと脳裏を霞めたけれど流れて消えた。
人となりへの理解や知識の偏りはあって当然なのに、
まるで自分の愛情に偏りがあることに直接結び付くかのような
そんな余計な危惧があったのだけは確かだった。

家族のことなら分かって当然、
そんな風潮が広く一般だと気苦労も人一倍やもしれない。


母は魚好きで、僕は肴好き。
父は肉好きで、年の離れた兄も確か肉好きだった。
確かそんな気がする。

断定するのに躊躇いがあるのは、
我が家には家族で揃って食卓を囲む習慣が薄かったためで、
それ故、家族それぞれについてのことには曖昧なことも多い。
せめて表面的には理解して居るつもりでも、
その表面ですら何処となくいびつな形をして居たりする。
相手のことを知らないのは互いが知ろうとしないせいで、
云わば希薄だからなのだと云い切ってしまうのなら、
そうなのかも知れないけれど、
価値観の共有以外の何か大きな力が働いて居るのが家族なのだ。

だから僕たちは希薄なのだと感じたことはただの一度もないけれど、
例えば1月、父の誕生日には何を贈れば良いのか分からず困った。

僕は結局毎年似たようなものを贈って居た。
正月明けで羽振りの良い僕からの贈り物は
皺のない紙2枚と引き換えの立派な箸と相場が決まって居て、
でも、使って居るところを見掛けることは稀だった。
家族で揃って久し振りの食事の時、
父がすき焼きの鍋に自分の箸を押し付けて使うのを
母がたしなめて居る食卓の風景があると、
ああこれ僕のプレゼントだったっけ、と気付く。
自分でも忘れてしまうくらい、それが普通なのだった。


6歳の誕生日に兄が僕にプレゼントしてくれたのは
美少女仮面ポワトリンのオープニング曲の8センチCDだった。

当時から恥ずかし気もなく女の子番組を見て居た僕は大層喜んで
夕飯そっちのけに兄のウォークマンを借りて聞いて、
さっさとご飯を食べろと母に散々叱られた。

僕はすぐに読み取り部分を手垢でいっぱいにして、
ケースの下の格子状の四角いプラスティック部分も折って
何処かにやってしまったけれど、
中学2年生になり立ての兄の経済状況からしてみれば
正月から日もだいぶ経った4月に千円の贈り物をするのは
それほど楽ではなかったはずなのだ。

きっと兄は兄なりに僕を良く理解して居て、
ケロッピのタオルもくれたし、文房具もよく貸してくれた。
では子供の頃の僕は兄に何を贈って来ただろう、と馳せても
記憶の糸が巧く手繰り寄せられない。
それは糸が細くて遠くにあるからなのではなく、
きっとそんな糸自体、何処にもないからなのだと思う。
幼さゆえと今は諦めるしかないとは云え、
兄の夏目漱石の重たさが坊ちゃんには分からないのが寂しい。

今も時折、買い物のお釣りで旧紙幣が紛れて居ると
そんな寂しい思いがふわっと薫ってくる気がする。
そう云えば、あの頃の兄は一緒に夕飯をとって居たはずなのに、
僕の記憶の中に食卓に並ぶ兄の姿があまりないのは何故だろう。


中学生のある時、同級生の女の子が悩んで居て、
話を聞けば家族喧嘩が原因だと分かった。

彼女は夕飯時の両親の喧嘩を前にして、
自分にも何か出来る事があると考えて口を挟んだところ
子供には関係がないと突っぱねられたと云う。
少しずつ成熟に向かいつつある年代だから事情は少し複雑で、
私や弟も含めての家族なのに、だって家族の問題なのに、
そう涙ながらに呟く姿に、僕も気の利いた助言をしたけれど、
その実、カルチャーショックだったのを覚えて居る。
これは大人の話だからと云って蓋と閉じられれば、
聞き分け良く振る舞う僕が持ち合わせて居なかった感覚で、
一般に男子より女子が早熟だと云われるのが分かった気がして、
食卓での諍いですら少し羨ましい気がした。


ロシアの民話に日本でもお馴染みの大きなカブと云う話があって、
畑の大きなカブをおじいさんだけでは引っこ抜くことが出来ず、
おばあさん、孫、犬に猫、最後にはネズミまでもがやって来て
力を合わせたら漸く抜けた、と云う教訓めいた昔話なのだけれど、
やはり理想と現実は似て非なるもので、
家族で力を合わせて何かを成し遂げた経験が殆どなかった。

実はここ数年、比較的色々なことが起こるようになって、
この歳になって漸く人並みに、
奇しくも家族一丸なんてことを経験したりするのだけれど、
免疫がない分、家族のために行動する自分や兄や父、母の姿が
なんだか照れてしまうので変な気持ちになる。
家族の中に自分が居る感覚をそれぞれが意識してしまうと
必死な気持ち以外の冷静な感情を呼んでしまうのだ。


例えば、あの頃の食卓に全員が集まるのが当然の環境だったら
何か違ったのだろうか、と思う。
家族は一緒の方が良いし、きっと何かは違うだろうけれど、
今のこの感じが取り立てて何かより劣ることもない、と思う。

例えば、この食卓に父と兄が居て、一緒に決勝を見て居たら
父のことも兄のことも分かるのだろうか、と思う。
家族が一緒に居れば、きっと様々な反応があるけれど、
きっとどれも母の叫び声に掻き消されてしまうな、と思う。

家族の数だけ食卓はあって、食卓の数だけ家族がある。
そして、どれも過不足なく充分な形なはずなのだ。


それでも母は
僕と2人では持て余すほど大きなダイニングテーブルに
ずっとこだわって居て、おかげで居間がひどく狭い。寂しがり屋の母らしい願いが込められたこの大きなカブも
いつか引っこ抜けると良いな、と思う。





さてさて、慣れっこの皆様も初めましての皆様にも
久し振りになりました。し、です。食卓。

家では包丁を握ることの多い僕だったりしますが、
母も最近になってまた料理好きの血が騒ぐらしく
頻繁に台所に立つ姿を見かけるようになりました。
それも何故かポテトサラダにご執心のようで、
ひっきりなしに業者さん並の量のポテトサラダを作っては
録画した映画やドラマを見ながらおやつのように食べています。
一見、甘いお菓子よりマシなように見えて
マヨネーズたっぷりなので身体が少し心配です。

一時期、と云うか数年間に渡って
母の作る料理の味付けは薄い、なんて時期が続いて居たのですが、
ここに来て僕好みの濃い味付けに戻りつつあります。
凄く前に兄のお嫁さんから聞いて妙に納得したことの一つには
女性は訳あって味覚が安定しづらいのだそうですが、
それとは関係なく何故か母の味が変わると云う珍事です。
となってくると、マヨネーズだけでなく塩分も心配です。
タナカ家ではサラダエレガンスと云う調味スパイスを
愛用して居るのですが、
エレガンス過ぎるポテトサラダに仕上がっている感が否めません。

と云っても僕は現役の酒呑みさんなので
濃い味付けの母の味って云うのは大歓迎なんですけど。


さて。
10月に入ってからも夏日、なんて単語を耳にしますが
夜になると一気に冷えるので
とっくのとうににピーコートな毎日の僕です。
知り合いの息子さんの学校が
ついにインフルエンザで学級閉鎖になったそうで。
運動会の欠席率も凄かったと聞きました。
僕の通って居た学校は運動会が5月だったので
木枯らし吹き始めの運動会と云うのは想像がつかないのですが、
運動会って保護者は勿論、生徒達も待ち時間が長いので
半ズボンに当たる風は冷たかろう、と心配です。
子供は風の子、なんてもはや現代語から抜けつつありますし。


そんな10月もいよいよ終盤になって来て、
ハローウィーンを過ぎれば一気に11月。
11月と云えば、
舞台「落下の王国 THE FALL KINGDOM ~YOU KNOW YOU」
の本番が近付いてきました。

翌月12月には
舞台「THE LONG KISS★GOOD NIGHT番外編<SNOW FLAKE>」
が待ち構えて居て、
翌年2月頭には
舞台「灰とダイアモンド IN 美獣」
も控えて居るので、
ここから一気にどたばたな年末年始な予定の僕だったりします。
でも毎月素敵なキャストとスタッフさん、
そしてお客様に会えるのが楽しみです。

懸命な方ならきっと一緒に駆け抜けてくれることだろうと
容易に想像がつくのですが、
同時に、先過ぎてスケジュール押さえられてないよ~と云う方も
容易に想像がつきます。
どうぞ僕達は後悔をさせませんので!!
毎月一緒に過ごせたら幸せだなぁ、なんて。

どちらのチケットもBEWITHさんのサイトよりご購入頂けますので
なにとぞ宜しく御願い致します。
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