【あ】

 

・有り難う【ありがとう】

 

人は生きて居ると色々な人と出会う。

どうせ出会うならば一緒に歩み続けたいものだけれど、

君と僕は別々の人生を背負って道を行くから

分かれ道は不意に訪れて、別々の道を選ぶことも珍しくない。

苦楽を共に過ごして来たのなら、尚更に別れは惜しい。

そしてまた、色々な人と出会う。

 

やがて、

自分もこの世界の色々な人の一部なのだと実感しながら、

目の前にある仕事や思いを遂げるための毎日を過ごして居ると

ビルの群れ、帰りの車、急な坂、人気ない川の土手、繁華街、

そんな日常の景色の中に突然、その姿が蘇って来ることもある。

あれからもう随分と永いこと経った、と

なめらかな懐古で甘酸っぱくなった後、

最後に交わした言葉は何だったろう、

表情はどんなだったろうと回顧する。

 

 

時に、別れの挨拶で「ありがとう」の言葉を選ぶことは

美しく高尚でもあり、何処か残酷だなと昔から思って居る。

僕には解消出来て居ない「さようなら」の本当の意味を

それはまるで急かして導こうとするかのようで。

 

そう云えば、ありがとうは「有り難う」。

自分にとってこんなことが起こるのは、有りにくいこと。

感謝を伝えるための言葉だけれど、語源は個人的感想なのだ。

さようならの代わりに、ありがとうと云われる時、

僕はいつも一つ遅れをとって居るようで、耐えられなくなる。

相手の中では全て完結してしまったかのような「ありがとう」に

俯きながら、うん、とだけ呟くように返すと

相手の表情を伺う余裕もなく、視線は地面すれすれを浮遊する。

それは狡いよ、と思いながらも

いざ自分に置き換えてみると、その意味が少し理解出来たりする。

理解出来た時には相手はもう自分の前には居ない。

 

こんな時の僕は、いつも一つ遅れをとって居るな、と思う。

 

 

小さな頃、大好きなものを棄てることになると、

ゴミ箱に放り入れる前に「ありがとう」と云ったものだった。

不思議なものでそんな習慣を続けて居ると、

玩具やぬいぐるみは、壊れても汚れてもいつも無口なくせに

こんな瞬間には何かを云ってくるような気がしてきて、

まだ幼い僕のアニミズムは、ますます助長されて行った。

 

その習慣は当然のように、物心がつくに連れて薄れて行ったけれど、

僕が間もなく中学入学で、桜がその重みでやや枝垂れ始めた頃、

もうすぐ使わなくなるランドセルを眺めて、

ふと何を思い出した訳でもなく「ありがとう」と云った。

それはもう呟くような小さな声でぽつりと言葉が漏れた。

云ったのか漏れたのか思ったのか、

その境目が曖昧な程の音量の言葉は

静かな春の陽差しに溶けるともなく消えてなくなった。

 

大きくて野暮ったくて煙たい存在だったはずのランドセルも

ぺしゃんこに押し潰された傷だらけの顔をこちらに向けて、

ああ棄てられちゃうんだなぁ、と云って居るようだった。

 

寄り道して集まった友達の家には、

前習えして整列の出来ない学校指定の黒いランドセルが

子供の数と同じだけ乱雑に散らばった。

 

それでも、自分のランドセルがどれかはすぐに分かるのだった。

何故分かるのかと、大人はよく不思議がって笑ったけれど、

この傷やしわは僕だけの証なんだよな、と思った。

 

おマセな手紙を入れて居たことがあった内ポケットだとか、

緩んでくるくる回るようになってしまった金具だとか、

擦れて原形を留めて居ない校章のマークだとか、

全てがなんだか一層愛しくも、寂しくも思えた。

 

この類いの感傷を抱いて居ることを大人に話すと、

その気持ちを大切にしなさい、とよく云われた。

大人になるとこんな感覚は無くなるのだと思って居たけれど、

大きくなってみると、それは人によって違うらしいと分かる。

大人にも色々な人が居て、僕も色々な人の一部なのだ。

 

 

この頃になってまた

仕事で使った洋服や道具に対して

「ありがとう」と呟く機会が増えて来たことに気付く。

 

 

云い過ぎて口が慣れないようにしなくては、と思いながらも、

「ありがとう」と沢山伝えられる人でありたいなと思う。


田中伸彦オフィシャルブログ「タナカドリル」Powered by Ameba


 

 


 

と云う訳で、タナカドリル。

日々の綴りとはまた別に

こんな趣向の綴り方でもやって行こうかな、なんて思ってます。

どうぞお付き合いよろしくです。

 

えーさてさて。

前回ゲスト出演させて頂いたUSTREAMsalala TVですが

バックナンバーが見られるようです。

 http://www.ustream.tv/channel/salalatv

 

 

12/18(土)開催の「美獣」のチケットもまだまだ発売中です。

 http://www.star-premier.com/biju/vol4.html

 

いよいよ日々が美獣のことで頭いっぱいになって参りました。

大好きなメンバーで大好きなお客様に

「ありがとう」と云えるようなイベントになりますように。