炊飯器は休む間なく稼働させられて、
20合くらい炊く。
鍋やフライパンが常に何個も出動状態で、
焦げ付く暇もない。

僕の花見は前日の一晩中続く夜通し調理と、
始発からの場所取りでスタートする。

実は例年大掛かりに花見を開催して居たのだけれど、
今年は花盛りと僕のスケジュールが
折り合いを付けなかったので、タナカ花見は断念。


花見好きの僕が今年は燃えて居ないので、
友人から「どうしたの?」と心配までされてしまった。
寂しい気もするけれど、そう云う年もある。
(来年は!!と意気込みつつ)



美しい男性の番組の終了した余韻。
舞台の再演を控えた緊張感。




もうとっくに花も落ちて鮮やかな新芽を付けていたのだけれど、
ついに若芽も先から茶色くなって終わってしまったので
2週間前に買って来た桜の枝を捨てた。
よし、新しい花でも買って来よう。




そんな矢先の先日、
劇団☆新感線の「蜉蝣峠(かげろうとうげ)」を観劇して来た。

全てを最大限に引き出す演出と役者さんの一体感を目前にして、
ちょっと迷って曇って居た空に切れ間が覗いて、
晴れ渡って行くであろう風景が見えた気がした。

本物ってコレだよな、と思う。

前回の「五右衛門ロック」も観劇させて頂いた時も、
なんと云うか、感銘を受けた、とも違う
パワーを分けて貰った、と云う確かな手応えがあった。
人を勇気づける、元気にさせる、その波動が確実にあった。

劇団☆新感線の公演は、いつも観客の予想を裏切って居る。
メーターが振り切れて居るし、常に云い訳がない。
そう、云い訳が、ない。ない。

本物ってコレだよな、と思う。
じゃあ、自分がやって居ることは偽物なのか、
と問われると、勿論そうではないのだけれど。
でも、云い訳がないか、あるかで云えば、返答し難い。



舞台だからこそ出来ることと
映像だからこそ出来ることは
僕にもまだ曖昧だけれど、きちんと線引きがあるように思う。

同じように、
作品と作品で対比して考えても、
役者と役者で対比して考えても
やはり確実にしっかりと線引きはあって、
どちらかがどちらかの模倣をすれば、
それは本物よりも幾分か偽物に近いものになるかもしれない。

だから、
劇団☆新感線の空気を僕が付け焼き刃に持ち出そうとしても、
それは偽物になると思う。

どちらが良いか、悪いかではない。
その作品の良さ、その劇団の良さ、自分の良さには間違いがない。
これを手垢まみれの言葉で云うと
「個性が大切だ、個性を大切に」なのだと気付く。



一周回って原点に帰って来た感覚。
自分の良さに惜しみなく拍手を貰えることが
やっぱり一番嬉しい。




すいません、これは自分用のメモ帳にでも書いておくべきでした。
でも公言。

タナカはやります。


そうそう
butterfly effectの公式サイトがオープンしております。
http://www.bewith-gogo.com/the_butterfly_effect/
パソコンから是非是非。
(音が出ますので音量注意です)