【人間失格】太宰治
読了日:2023年9月9日
ーあらすじー
「恥の多い生涯を送って来ました」。そんな身もふたもない告白から男の手記は始まる。
男は自分を偽り、ひとを欺き、取り返しようのない過ちを犯し、「失格」の判定を自らにくだす。
でも、男が不在になると、彼を懐かしんで、ある女性は語るのだ。
「とても素直で、よく気がきいて(中略)神様みたいないい子でした」と。
ひとがひととして、ひとと生きる意味を問う、太宰治、捨て身の問題作。
ーフレーズー
P64 L9 弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられる事もあるんです。
P100 L1 ああ、人間は、お互い何も相手をわからない、まるっきり間違って見ていながら、無二の親友のつもりでいて、
一生、それに気附かず、相手が死ねば、泣いて弔詞なんかを読んでいるのではないでしょうか。
P100 L11 世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。
「世間というのは、君じゃないか」
ー感想ー
太宰治の書く文章が好きだ。
太宰治が日常に感じた繊細な感性がそこに秘められているのが感じられるからだ。
そして太宰治自身を好きになってく。
この短期間で私は太宰治の虜になってしまったのだ。
私が読書が好きになったのが最近だということが大きな原因だろうが、この人間失格は一度読んだだけでは、
おそらく1割も落とし込めない、それくらい深く、繊細な作品だと思った。
太宰治のこころの内を垣間見ると共に、わたしを含めたひとという生き物すべての内のおぞましさをのぞいた様な感覚がした。
主人公葉蔵の幼少期からのお道化が、大人になっても染み付いて離れず、人生をどんどん破滅的にしていく様はまさに、
アダルトチルドレンの呪いだなと感じた。自分以外のすべてのひとに恐怖し、気遣い、
ありのままで生きることができなかった葉蔵に強く感情が揺さぶられた。
寂しい、辛い、悲しい、痛ましい、どれも違うようでけれども似たような、なんとも言えない鬱屈した気持ちが胸に広がった。
それはきっと自分も生きていく上で、葉蔵と似たようなことをする場面が少なからずあったのだと無意識に感ぜられる故に、
どこか他人事ではない感覚になり、その度に葉蔵と同じ絶望を味わっていたのかもしれない。
もちろん、他人をわかることなど無いというのは至極当然で、恐怖する気持ちは誰にでもある気持ちであろう。
しかし私はだからこそ、それでもわかろうと根気よく向き合うことが大切なのではないかと思う。
必ずわかりあえると期待するのではなく、はたまた決してわからないと絶望するのでもなく、わかろうと努力し、
思いやりを捨てないことが大事なのではないだろうか。まぁ、それが難しいわけだけれど。。。
しかし面白いことに、主人公の葉蔵を取り巻くすべてのひともまた、本当の自分をうまく隠して生きている。
(隠しているというよりは、気がついていないの方が妥当かもしれないが)このひとたちも、
心の内では浅ましく、愚かしく、いかにも人間臭い感情や思想があるのだ。
つまるところ葉蔵の苦痛というのは、実はすべての人間にあてはまるものなのだろう。
その中でも優しい人、陽気に、あるいは完璧に見える、外面がいい人ほど、心のどろどろとした部分をひた隠し、
懸命に相手を喜ばせ、実は自分自身を大事にする方法がわからず、無理をし、辛い思いをしているのではないかと感じた。
そんな人がいるのなら、一言辛いと言って欲しい、サインを出してはくれないだろうかと思う私は、
真逆とはいかないまでも、葉蔵(太宰治)らサイドには位置していない側の人間なんだろうなと思う。
彼らの闇を本当の意味では理解していないのかもしれない。
葉蔵は、本作のなかで女から惚れられると予言を受け、実際に何人もの女からそういった感情を受けてきた。
実際に私自身も、葉蔵は決して嫌いなタイプではなく、どこか惹き付けられるようなところがある。
これだけのクズっぷりを作中で晒しているのに、だ。
私は自分で思っているよりも、尽くしがいがあるのが好きなのかもしれない。
ダメンズに引っ掛からないように気を付けないといけない。
それにしても、どうして自殺に女の存在が必要なのだろうか?
やかりひとりは怖いからだろうか。そこに何か重大なことが潜んでいるのか、
それともシンプルな理由からなのか、はたまたこの時代は心中が一般的だったのか。
どれにしても、自分だけ死にきれないのは逆に辛いだろうにと感じた。
如何せん、この葉蔵の人生転落は、葉蔵を取り巻く人間関係が大きな原因を担ったのではないかという印象が強かった。
両親、悪友の堀木、出会った女達、この葉蔵の身近なものの中に一人でも本当の葉蔵を見ようとした人がいれば、
また人生は変わっていたのではないかとも思うし、結局は葉蔵自身の気質がそういった人達を呼び寄せたのかもしれないとも思う。
いつも受け身だった葉蔵が、この人間関係がら抜け出せるだけの力があったとも思えないので、そんな簡単ではないのだろうな。
一番印象に残ったフレーズ(P100L11)に関しては、本当にその通りだと感じた。
その通りなくせに、普段はまったく頭から抜け落ちてしまっていて、自分のこととなると、
それが一寸も思い出せなくなってしまうのだから厄介だ。
皆、それぞれ個々の価値観や思想があって、それに当てはめてしか物事を見れず、
さらにそれが真に正しいことであり、他人も世間もそうであるように考えて疑わずに決めつけている。
世間一般なんて単なる個人の考えや価値観でしかないと言うことが改めて頭に突き刺された、はっとさせられた一文だった。
この作品は、太宰の自叙伝といわれるだけあって、心の奥底の闇を追求に追求せられた、
人間の悪というものがじわじわと感じられた作品だった。
葉蔵を、太宰治を救えるのなら救ってあげたかったと思うのも、きっと傲慢で人間としての悪なのかもしれない。
冒頭でも記したように、きっとこの作品が伝えたかったことの1割も感じ取れていないだろうから、
何回も読み直し、その度に感じたことを追っていくのも楽しいのではないかと思う。
そうやって少しずつ、真髄に触れていきたいと感じる作品だった。