アルビノ白くまのぽかぽか日和ヾ(=^▽^=)ノ -323ページ目

アルビノ白くまのぽかぽか日和ヾ(=^▽^=)ノ

アルビノという個性と共に暮らしています。

日々感じた事、思った事を綴っています♪

今日、大阪の妹さんから一枚の写真が届きました。

それは、お姉さんが花を前にして横になった安らかな写真でした。

思い起こせば、妹さんに出会ったのもあの時に、前日のバスのキャンセルが一席出なければ行けなかったし、出会う事もなかったでしょう。

そして、それから今日までの半年間は正に「駆け抜けた半年間」でした。

明日の夜に大阪へ向かいます。

これは、新たな旅の始まりのために行くのです。

お姉さんからの「命のメッセージ」を心にしまい、私は新たな旅に出るために大阪へ行きます。

そして「現世での最後の別れ」をして「心の中の永遠の再会」をしてきます。

お姉さんの、魂は私たちの心中で永遠に行き続けます。

だから、私は前を向いて一歩ずつ歩んで行きます。

決して、後ろ向きではなく前向きに生きていきます。

それでは、明日も仕事なのでそろそろ寝ますね。

おやすみなさい。

銀河鉄道999 ゴダイゴ リメイク版
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やっぱり大阪へ行く事に決めましたヾ(=^▽^=)ノ

と言う事で、早速全ての切符を買ってホテルの予約も済ませました(^-^)

会社から29・30日もいただき、いざ大阪です(*^_^*)

29日はエピソードさんと妹さんにお会い予定

30日は朝日新聞の記者さんと、まだ確定ではありませんが、大阪のアルビノ当事者の会の「ドーナツの会」の代表さんと一緒にお話をさせていただきますo(^∇^o)(o^∇^)o

また楽しみが増えましたヾ(=^▽^=)ノ

大阪のみなさん宜しくお願いしますねm(__)m

そう言えば、亡くなったお姉さんにこんなことを言われました(^-^)

「白くまさんの背中には羽が生えているんやね♪今回もこうして飛んできて下はったものね♪昔、天使だったんちゃいますか~?」(方言間違っていたらごめんなさいね)確かこんなことを言われました(^-^)

私も翼がほしいですヽ(´▽`)/
昨日、妹さんからお電話をいただきましたm(__)m

お姉さん出会ってからの半年間の思い出話しを2:30までしました(*^_^*)

いま考えてみると、本当にあっという間の半年間でしたm(__)m

不思議と全てがうまく進むことばかりで、きっとお姉さんが私たちを病床から導いて下さったのだと話しました(^-^)

お互い話をしているうちに元気が出てきて、これもきっとお姉さんが私たちを元気になってほしいと思って、話させて下さったんだと思いましたo(^∇^o)(o^∇^)o

もう泣くのは止めました(*^_^*)

今日からはお姉さんの分も生きて、今までのようにアルビノの子供達や親御さんや当事者の仲間たち共に頑張っていこうって思いましたo(^∇^o)(o^∇^)o
昨日は本当にショック大きくて、お昼にメールをいただいてから体中の力が抜けて仕事をしていても身が入りませんでした。

先輩からは「どうした?」と聞かれましたが黙っていました。

と言うよりも涙をこらえるのが精一杯で、それどころではありませんでした。

今年に知り合って、一度話してそれが最後だなんて…

これも神様が私たちを引き合わせてくれたんだと感謝していますが…

最後は笑顔でお別れになったと妹さんから聞き、それだけが唯一の救いだったのかと思う反面、まだ中学一年生の娘さんを残していく気持ちを考えると…

そんなもやもやした気持ちで、そんな時にかぎって仕事が残業で「仕事なんて早く切り上げて帰りたい」そんな気分でいました。

家に帰っても、何もする事ができなくて…

そんな時、電話が鳴りました。

出てみるとエピソードさんからでした、その優しい声を聞いているうちに、ずっと我慢していたものが全て流れ出てきました。

エピソードさんもビックリしたと思いますが、私の気持ちを分かってくれて、話を聞いて下さいました。

亡くなったのを知ってすぐに、こうして日記を書くのは不謹慎かもしれませんが、お姉さんからの「多くの人に伝えてほしい…」と言う願いを思い出して、お姉さんが、そして私が生きた証として日記を書かせていただきます。

人って死んでしまったら、どこへ行くのでしょうか?

今年、大阪で聞いた講演では「まばゆい光の中へ」向かって行くとおっしゃっていましたが、ご家族を残してそんな遠くへ行ってしまうんですか?

家族のすぐ傍で見守っているのではないのですか?

お姉さんは突然の発病から、三年間ずっと寝たきりになられ、お友達の面会も断っていたなか私に会って下さいました。

お姉さんも、いままでこうやって種類は違えども私と同じアルビノとして生きた半生を語ったのは初めての事だったそうです。

語り終わって「やっと分かってくれる人に出会えました」とおっしゃられた時の言葉も忘れる事はできません。

私は、お姉さんの苦しみを和らげてあげられなかったんでしょうか?

「苦しい」とメールをもらった時に、もっと何かできなかったのだろうか?

最後は前回の大阪で、私が鈴虫寺から買ってきた、お守りを持っていかれたそうです。

妹さんの話では、生前何か願い事をなさっていたようです。

いまとなっては、何を祈ったのかは分かりませんが、その祈りは通じたのでしょうか?

きっと通じたと信じたいです。

その祈りは、きっとこれから花開いて多くの方々に伝わって行くことでしょう。
今日、一通のメールをいただきました。

内容は、私が今年に大阪へ会いに行った方が、18日にお亡くなりになられたと言うものでした。

妹さんにオフ会で出会い、その後に私の新聞を読んで手記を送って下さいました。

その手記に感銘を受け、医学書院へ送り、その後に患者会の方々のご協力をいただき9月に異例のスピードで医学書院から月刊誌「病院」9月号リレーエッセイに掲載していただきました。

この掲載に当たっては医学書院の方にも、かなり無理なお願いをしてそれでも快く引き受けて下さいました。

お会いするきっかけも、私が「お姉さんの手記を読ませていただいたお礼をメールではなくお姉さんに直接お会いして言わせていただきたい」と言う無理なお願いに、ご家族やご本人までもが「白くまさんなら」と言う事で会って下さいました。

その時にはすでに病状は末期で、本当は話す事も辛い状態の中を私に会って下さいました。

そして、本人もおしゃっていましたが「これが最初で最後の会話」となりました。

最初はご家族も交えて2時間程お話になられ、そして昼食をはさみ、午後からはご家族も席を外していただいてふたりだけで1時間ほど話を聞かせていただきました。

この時にはすでに数値が上がっていて、ご家族からも「もう休んだ方がいい」と言う言葉に「話させてほしい」とおしゃって私に話をして下さいました。

ご本人から「私は今年もつかわからないんです」と衝撃的な話から始まって、発症からいままでの話をかすれる声で一生懸命に話して下さいました。

内容は個人的な話しが多いので書けませんが、お姉さんから頼まれたのは「私はもう、ここから動く事はできません、だから私たちの思いを白くまさんが多くの同じ病気や症状で悩む人たちや、この病気を知らない人たちに伝えていって下さい」と力強くおっしゃられました。

私みたいな者にそんな事ができるのか?悩みました。

でも、お姉さんが「いままでと同じで、そのままの白くまさんでいいんですよ」と言っていただいて、私も「頑張ろう」って思いました。

今日のお昼に、今回のこのメールをいただいてから涙をこらえるのが精一杯でした。

もう、私からお姉さんにメールをしても返信は帰ってきません。

でも、いままでのメールのやり取りを読ませていただいて、本当に最後の最後まで相手を思いやる大きな心をもった方だったんだと知る事ができました。

「苦しい」と言う辛いメールを受けた時にも、最後は「どうか体にきをつけてね」と優しい言葉をかけて下さいました。

自分の生き様を通して、生きる事の大切さを身をもって私に伝えて下さったのだと思います。

そして、お姉さんからいただいた最後メールは偶然なのかも知れませんが、こんな言葉で終わっています。

08/9/30 18:49
題名:お世話になりました。
本文:ありがとうございました。


本当に最後の最後まで、思いやりを忘れる事なく生きた方でした。

最後にお姉さんが書かれた手記の文章の最後の章「生きる」から少し引用させていただきます。


わたしが病気と向き合って精一杯頑張って生きていることをどうか忘れないで下さい。


最後まで生きる事の大切さを身をもって教えて下さいました。


本当にありがとうございました。

心より謹んでご冥福をお祈り致します。