子供の頃~その3
両親が離婚をしたのは、僕が小4の頃だった。
度々、両親が喧嘩していている場面を見ていたし、夜中に母に連れられておばさんの家に行ったりしていた
ので、その時どう感じていたかは憶えていないが、母からすれば耐えに耐えたのちの結論だったんだろう
と、今では感じている。
理由はお決まりというと女性の方に失礼だが、父の浮気である。
美容師をしていた父は世界大会でも優勝したことのある人で、芸能人のヘアデザインなども手がけていたら
しく、(実はその辺は全然知らないのでだいたいこんな話ぐらいで聞いてください)その関係で知り合った人
との浮気だったようだ。
随分後になって、父方のおばさんから、「お父さんの相手はこの人よ。」とカラオケの8トラ(?)を見せてもら
ったのを憶えている。つまりあんまり有名ではないが、芸能人(歌手)との浮気だったようだ。
離婚後、僕達親子3人は福岡の母の実家に行った。
母の実家には、母の兄弟4人をりっぱに育てた上に、国鉄の職員をしながらコツコツと蓄え、老後はアパー
ト経営と書道教室経営などで更に資産を増やし続ける逞しい祖父と祖母がいた。
僕が物心ついたころには祖父は60歳に近かったはずだが、750ccのバイクを乗るほどの元気な祖父だっ
た。今の60歳ではなく約30年前の60歳だからたいしたもんだ。
祖母の言葉でよく憶えているのが、「スーパーのチラシ見て安い安い言うばってん、買わんが一番安い!」
まさに逞しい日本のおばあちゃんである。そんな祖母も戦後の配給から始めたタバコの影響で、僕が物心
ついたころには、肺が一つしかなかった。
祖父の家にとりあえず落ち着いたが、1年ぐらいして僕達親子3人は六畳二間の狭いアパートに移ることに
なった。子供の頃なので理由は分からないが、大人になってから、母と祖父母はそもそもあまり折り合いが
良くなかったことも聞かされたので、その辺が原因なのか・・・・。そもそもいつまでも世話になるつもりがな
かったのか・・・・。
両親の結婚にもかなり反対したようなことも聞いた。祖父母からすれば、ほらみたことか的な気持ちもあっ
たんではないだろうか。
そんなわけで、10歳まで生まれ育った、前記事で紹介した幼馴染や、父方の親戚が多くいる慣れ親しんだ
大阪から、九州福岡へ僕の生活は移っていく。
子供の頃~その2
幼馴染って誰にでもいると思います。
はい。僕にもいます。ただ僕は大阪→福岡に引っ越してしまったんで、今では付き合いもなくて名前さえは
っきり憶えていません。
残念です。
すご~く残念です。というのもみんな女の子だったんです。
すご~く早いですが、異性を意識したのって彼女達が最初ですねぇ。
僕が保育園に行って、彼女達が幼稚園に行ってしまったんで、すごく短い間の幼馴染なんですけど、一緒
にママごとしたりケンケンパしたり随分女の子っぽい遊びもしてました。
その時は女の子っぽいとか思ってなかったですけどね。
あと、みなさんにも憶えがあると思うけど、お医者さんごっことか・・・。シーー( ̄、 ̄*)ーーン
おいおい引くな~!
夫婦ごっことかもしたなぁ~!こっちの方が結構きわどかったなぁ~!シーー( ̄、 ̄*)ーーン
おいおい、だから引くな~!
今でも放送してるけど「土曜ワイド劇場」っていわゆる「濡れ場」っいうんですか?そういうシーンが多かった
んですよねぇ。親が観てるのを薄目開けて見てましたよ。シーー( ̄、 ̄*)ーーン
だから引くなって~!
あとね。どこで拾ってきたかわかんないようなエロ本を空き地とかに隠してて、一人でこそっと見に行ったり
してました。エロ本見るとおしっこしたくなるのは、なんでだろう~!シーー( ̄、 ̄*)ーーン
ここまで読んでる人はもう引かないよねぇ。( ̄▽ ̄;)アハハ…(古いギャグにも引くな~!)
今、会えるなら彼女達に会ってみたいですねぇ。お互いすご~く恥ずかしいと思うけど。
きっと素晴らしい女性になってるんじゃないかなぁ。もう子供もいると思うけど。
今、僕は大阪に戻って来ていて、(大人になってからですが)彼女達と過ごした街に住んでいます。
でも僕が暮らしていた家も、彼女達が住んでいた家もマンションが建ったりして今はもうなくなってしまいま
した。
だからTV局の協力でもなければ会うことは不可能でしょうねぇ。くすん ( ノω-、)
早苗ちゃ~ん!はははは!
子供の頃~その1
すご~く、断片的な記憶で(物心とはそんなものですが)憶えている、僕の現在の性格を如実に表す子供の
頃のエピソードを紹介します。
僕にはひとつ下の弟がいます。
弟がまだ保育園に通っていて、僕が小学生だったので、僕は小1だったと思う。
その日は、なぜかは憶えていないけど、両親がいなくて(旅行かなにかだったのか)、兄弟で近所の親戚の
家に預けられていました。
僕はなぜか学校がなくて、弟が保育園に行く。そんな今考えても意味不明な日だった。
小学生だったし、おばさんは「はじめてのおつかい」みたいな思いもあったんだろうと思うけど。
おばさんは、僕に弟を保育園に連れて行くように言った。
僕らが住んでいた街は大阪の西成区で、それも一番環境が悪いところだった。(西成といえば大阪以外の
方も聞いたことがあると思うが)
僕の家は結構大きい通り沿いにあったのに、家の前に浮浪者(不労者)が寝ているなんていうのは日常茶
飯事だった。
保育園があったところもとてもひどいところで、名前ぐらいは聞いたことあるかな?と思うけど三角公園(暴
動が起きたときに集会場になった場所らしい。らしいというのはその後、大阪を10年ぐらい離れることになる
ので当時をリアルには知らない)のすぐそばだった。
そんな場所に保育園があれば、当たり前だが弟を一人で保育園に行かせるわけにはいかない。
それで僕が連れて行くことになった。
当時小1の僕が連れていくのもどうかとは思うが・・・・。
だから今考えるとおばさんもそんなに心配していたわけではなく。まさに「はじめてのおつかい」を課したの
ではないかと思う。
そして二人でいつもより少しだけ遠い保育園へ出かけた。おばさんの家からだから、自分の家からより少し
だけ遠いわけです。
それなのに、いつもぐらいの時間に出たので、時間に間に合うかなあ~と気になりながらの出発だったよう
に憶えています。
途中まで行ったところで、弟がこう言いました。
弟「兄ちゃん、道分かるしここまででええよ。」
僕「ほんま、でも一応送るわ。おばちゃんに言われてるし。」
弟「ええって、ええって、大丈夫やから。」
僕「そうか、じゃあ気をつけていけよ。」
といって気になりながらも途中の道で別れました。
おばさんの家にもどった僕は、
おばさん「ちゃんと送ってきたか?」
と言われ、ちゃんと送ってきたよ、と答えた。
その瞬間!弟の大きな声が・・・・。
弟「兄ちゃん、保育園閉まっててたわ~!」
僕はその瞬間うわ!おばちゃんに怒られる!
そう思った僕は気が付いたら、おばさんの家を飛び出していました。
その後は、いつも遊びに行く近くのショッピングセンターに一日中いたような記憶が断片的あります。
多分、そこで両親が家に帰ってくるのを待っていたように憶えています。何度も家を見にいきながら・・・。
その後どんな風に怒られたのか、はたまた怒られなかったのかは全く記憶にありません。恐らく弟に聞いて
もそんな出来事があったことも憶えていないんじゃないかと思います。
この出来事は今でも何かを失敗をやらかしたときに思い出します。
今でも僕は程度は違っても似たような失敗をするからです。『まっ!大丈夫か!』とすぐ考えてしまんです。
この時も弟が一人で行くと言っても一緒に行くべきでしたし、おばさんに怒られるからとその場を逃げ出して
はいけなかったのです。
今でもその性格は直らず、すぐ『まっ!大丈夫か!』 『まっ!なんとかなるか!』と考えてしまいます。
失敗の後、もう少し考えてから行動すれば良かったと後悔してしまうのです。
そんな失敗をやらかした後、この出来事を思い起こしては、もっと考えてから行動を起こそうと反省します。
でも起こってからしか思い出しません。ここに記事して読者の方に披露することで、常にそういう思いで行動
できればと思っています。
いきなり初っ端の記事からダメ人間ぶりバリバリです。
これからもこんなことばかり書いていきます。面白くはないと思いますが、ひょっとしたら僕のようなダメな人
がいるかもしれません。そんな人は(;`・д・`)ウンウン とうなづいて一緒に反省してみてください。
そしてコメントなどお寄せいただけると幸いです。一緒にダメ人間から脱出しましょう!
ではまた次回!
平凡か?こんな人生!
平成18年元旦!明けましておめでとうございます!
僕はもうすぐ34歳になります。
34年が長いか短いかは人それぞれ。
じゃ僕にとってどうだったのか・・・。
そしてこれからは?
過去のことを振り返りながら、リアルに自分の人生を記録していこうと思います。
今の自分の状況は、とてもいい状況とは言えません。
だからこそ綴っていこうと思います。
ではリアル人生僕の一代記始まります。
