真田昌幸は真田幸村と真田信之の父  https://www.amazon.co.jp/dp/B00OCF5XLU/
物語は、真田昌幸の父である、真田幸隆の時代にさかのぼる
真田幸隆の時代には、真田ではなく海野小次郎という名前であったが、武田、村上、諏訪の連合軍に囲まれ
上杉の援軍なく敗れる、海野の没落から物語が始まる。ところが、小次郎は、武田晴信のちの信玄にさそわれ
召し抱えられることになり、その際、海野の名前ではなく、途絶えていた真田の姓を名乗ることとした。

名前がその人となりを表す。六文銭の家紋はここで定められた。海野は滋野(しげの)一族としてネットワークがある。

 

昌幸の父である、幸隆は、戦にも強く、調略にもたけ、武田において重要な地位を占めていくが、川中島の戦いなどを経て武田は上杉には勝ちきれず、信玄が年を取ることで、上洛の途中で倒れる。このあたりで幸隆の活躍も終わる。信玄の後を継いだ、武田勝頼は本書では、凡将として描かれており、武田家は転がり落ちていく。
長篠の戦いの配線で武田は軍事力が半減するが、その際、昌幸の二人の兄も戦士し、昌幸が真田を継ぐことになる。それまでは武田家の旗本として、武藤喜兵衛を名乗り活躍していた。

源五郎⇒武藤喜兵衛⇒真田昌幸と名を変える。幸村も、源二郎⇒信繁⇒幸村 兄は源三郎⇒信幸⇒信之

 

昌幸の父、幸隆は、武田晴信だけではなく、上杉方の長野家の縁組もあり、どこからもスカウトされる人気と実力。
これが個人としての強さ。そして、真田家も、武田家滅亡後、北条、上杉、徳川からスカウトされる人気と実力。
武田のために戦うのではなく、真田のために戦う。武田家の宿老でありながら、小大名的な独特の地位を確立した幸隆
どこかの傘下に入っても、援軍をこうにしても、自分が戦う気概と気迫を持っている。武田として落とせない城も、真田単独で調略で落としてしまう。独力の強さがあって初めて他国に認めさせられる。北条に人質を出せと言われたが出さないと言ったが、それも認められている
交渉には交渉を有利にはこぶための実力や実績や、書け引き合い量が必要。真田には実力も実績も気迫もある。
情報収集を怠らず、調略を巧みに使い、人や家の歴史を理解し、無駄な正面衝突を避ける。北条の数万に囲まれても補給をたって撤退させる。
小をもって大を制するのが真田の真骨頂。局地戦のみではなく、天下を視野にしれた戦略立案