昨日のブラッシュアップでは耳が不自由な方も受講されておりました。



素晴らしいと素直に思いました。


音は聞こえずとも、トレーナーや私達の口の動きを読みとって理解し、動き、質問は筆談。すごく積極的にされていました。



反対にハンデなんて全く感じなかったんです。


ハンデという言葉を使うこと自体、失礼だと思いました。




以前ゴールドジム名古屋金山で、目の不自由な方や、片腕のない方などを何度かお見かけしたことがあります。



でもスタッフの方々が明るくサポート。何の問題もなく普通にトレーニング。





そういう場面に遭遇すると『人ってこうやって互いに生かされあってるんだ』
と思ったりします。




支える人、支えられる人、お互いが相手の身体を通じて共感しあっている。



昨日の講義は別の意味で有意義な一時になりました。



そして同じピラティスの所属団体に頑張っている人がいるんだと知りえたことをとても嬉しく思いました。

うちの団体も中々やるね(^-^)




当たり前のことが
当たり前だと感じなくなったとき。


もしかしたら人間の苦しみはここから始まるのかもしれないですね。



悩まなくてもいいのに
悩まなくては自分が変われないような錯覚に陥ったり。




まずは五体満足である自分に心を向け直すこともたまには必要かもしれませんね。