ある生徒が手紙ノートにおばあちゃんの死について書いてきます。

内容はこんな感じ
『ある日家に帰ったら、お兄ちゃんがおにぎりを食べろと僕に言った。なんかいつもと違う家の雰囲気(略)おばあちゃんが死んだ。お花でおばあちゃんを一杯にしてあげた。骨になったおばあちゃんをお箸でつまんだらまだ温かかった(略)』
これを生徒が発表した時

ある女の子の生徒が口を開きます。


普通は『かわいそう』とか『元気だして』とか言いませんか?


そうじゃないんです。彼女は今まで決して語ろうとしなかった自分自身の事を話出したのです。


彼女は三歳の時、父親を過労死で亡くしていました。そしてその死を彼女自身が察知し、病院に電話をするのです。

病院に電話?偉いね、小さいのにすごいね、と思いますよね?


違うんです。
彼女は病院に出産で入院していた母親に連絡を取ったのです。

訃報を聞いて母親は泣き叫んだ。


大恋愛の末、結婚した夫婦でした。


母親は夫の死を受け入れることができず、納骨ができないまま沈んだ生活を送っていたのです。


しかしクラスの他の仲間の家族死の話がきっかけとなり、女の子の生徒は語りはじめました。


そしてこの授業をきっかけに彼女の母親はやっと納骨に至るのです。


このことについて金森先生はこうおっしゃいました。

『この話には生と死があり、女の子の生徒は三歳にして両方一度にそれを受け入れなければならなかった。しかし手紙ノートがきっかけで彼女もそして彼女の母親も心がやっと解放されたのではないかと思います』

手紙ノートは単なる連絡ノートではありません。

先生がこれをやったのは、他に起きたことを、自分自身に置き換えて自分の言葉で自分のこととして語る、そのことの大切さからです。


金森先生の教育スタイルは『教えるのではなく、生徒に問いかけをさせ、生徒自身の力で学ぶ』です。


だからやっていることに関して、色々な団体や組織からの圧力、誹謗中傷の電話などしょっちゅうだったそうです。


だけど先生はそんなことには屈しませんでした。


今日の講義は涙が出そうなものばかりの内容でしたが『泣かずに最後まで聴く』と心に決めて、耳とメモする指先に集中しました。

明日は『性の授業、死の授業』についてアップします