1969年3月、我々茨木高校三年生は卒業式も無く、別れの言葉を交わすこと無く静かに卒業しました。
学生運動は続いていました。
地方の高校の体育館を占拠して、当時の政府に何を訴えたかったのか、また訴えが届くとでも思っていたのか、今でも疑問です。
卒業証書は後日、受け取りに登校しました❗
予備校は京都です。京都大学の近くです。近かったら入れるんやったらエエねんけど…、そんな事おまへん😜。
以下は今回のタイトルの歌詞です。
『気楽に行こう』
〽️気楽に行こうよ 俺たちは
焦ってみたって 同じこと
のんびりゆこうよ 俺たちは
なんとかなるぜ 世の中は
気楽に行こう のんびり行こう
気楽に行こう のんびり行こう
マイク真木氏は 1966年 に『バラが咲いた』で森山良子氏や、フォーク・クルセダーズと共に、日本のフォークソングの先駆者でした。
さて、初めての大学受験は予定通り失敗に終わりました(予定通りやったら失敗ちゃうんちゃう?)。
不真面目な予備校生だったと思います、小生は…。
国鉄(現JR)茨木駅から同京都駅まで三十分位だったでしょうか、阪神が勝った翌日は必ずスポーツ新聞の阪神の記事だけを何度も読みながらの通学でした(苦手教科の参考書はどないやねん😠)。
実は、春日丘高校に行ったたかちんも同じ予備校だったのです❗
音楽仲間の"たまり場"を提供してくれてる幼なじみのたかちんですね👍
予備校での講習科目は違っても、下校時間は合わせるのが自然の成り行きですよね😅
楽譜やレコードや楽器のお店とか、ジャズ喫茶とか…結構有るんですよね京都には。後ろめたい想いを持ちながらもお店巡りの楽しさには敵いませんでした。
帰りは高槻で途中下車、"たかちん家(ち)で一休み"も日課となり、後ろめたさも極まれり!でした。
大丈夫でしょうか、受験❗