このシリーズもついに最終回。でも歴史に終わりはございません。これからも続いていくものなのですから。

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南九州コカ・コーラボトリング宮崎工場は1972年6月に南九州4番目の工場として宮崎市近隣の清武町で操業を開始した。同時期の山陽と同じく、リターナブル容器中心の時代だった当時は販売エリア各県に工場を建設したほうが良かったのである。設置されたラインは南九州一のレギュラーサイズ800BPM・ホームサイズ600BPMの能力を誇った。90年代初頭の工場と思われる上の写真に写っている赤いものは空壜とシェル。当時の宮崎工場ではレギュラーサイズの他に、閉鎖された鹿児島工場が主に担当していたリットルサイズも生産していたのでストックされた壜が多かったのだ。

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1975年5月には缶製品ラインもスタート。ライン設置のため工場の増築まで行った。1981年にはHI-Cサンフィル及びファイブアライブ生産のために果汁処理設備と充填機のホット充填にも対応した。宮崎工場では結局350ml缶の製造には対応しなく、250ml缶製品のほとんどが販売中止となった1992年以降は休眠状態であったろうと推測される。

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一方の壜製品ラインは1980年にリットルサイズ及び果汁ホット充填に対応。HI-Cサンフィルのレギュラーサイズは宮崎工場が全国での製造第1号となり、その動向は他ボトラーからも注目された。ちなみに近畿以西の西日本でHI-Cサンフィルのレギュラーサイズを導入したのは南九州と沖縄のみであった。

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発売以来なぜか九州では爆発的な勢いで伸び続けていたジョージアコーヒーであったが、前年の北九州鳥栖工場に続いて宮崎工場でも1982年9月から製造を開始。当初の生産能力は700CPMで同時期の東京多摩工場や北陸武生工場と同性能であった。しかし、南九州でのジョージア拡大の勢いは止まらなく1985年にはラインを改造し日本最速の缶コーヒー専用ラインなる。製造能力は1200CPMで、これは当時はもちろん現在でも高速の部類に入る。

壜・缶製品を製造していた宮崎工場だが90年代半ばになると工場再編が行われ、96年いっぱいで壜ライン、97年いっぱいで炭酸・果汁缶ラインを停止し大分工場に集約された。この時点でいったん宮崎工場は缶コーヒー専用工場となる。2000年になると熊本工場のレトルトラインの設備が移設され茶製品の生産も開始。しかし、えびの工場建設が決定されたことで宮崎工場の歴史的役割も2005年に終了する。現在工場があった場所は更地になっているそうだ。



◎南九州コカ・コーラボトリング宮崎工場の変遷 (製造所固有記号:M→MM→MMI)

製造所固有記号が「M」から「MM」になった理由がよくわからない。

壜ライン

 72年開設 レギュラーサイズ(800BPM)・ホームサイズ(600BPM)
 80年   リットルサイズ・果汁ホット充填対応
 96年   閉鎖

 鹿児島や大分と違いリターナブル製品専用。96年まで生産。


炭酸・果汁缶ライン

 75年開設 250ml炭酸缶(1000CPM)
 81年   果汁ホット充填対応
 83年   2ピース缶切替
 97年   閉鎖

 閉鎖されたのは97年だが、250ml缶製品の大半は92年以前に販売をやめているのでその時期に停止した
 と推測される。


コーヒー缶ライン

 82年開設 ジョージア250g缶(700CPM)
 83年   ジョージア190g缶対応(700CPM)
 85年   生産能力を1200CPMに増強
 05年   閉鎖

 85年時点で1200CPMは単独ラインとしては最高速。

茶缶ライン

 00年開設 茶340g缶
 05年   閉鎖

 熊本工場時代はジョージアも生産していたが、宮崎工場移設後は不明。


写真引用:南九州コカ・コーラボトリング30年のあゆみ より