山陽コカ・コーラボトリングの古い製品について解説して行く。

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まずはレギュラーサイズ。ファンタの種類の多さに驚くであろう。パインフルーツは山陽限定商品であり、他ボトラーでは販売を確認していない。コーラのボトルは白ロゴタイプ。今でもウエストのエリアでは山陽出身のボロボロになった20年選手のこのボトルが流通していて驚くであろう。HI-Cサンフィルのレギュラーサイズは未発売。コカ・コーラウエスト京都工場展示のコカ・コーラライトの姿はない。

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次はスーパー300。スーパー300は福山工場で製造されていた。フルーツパンチのロゴが新しい。HI-Cサンフィルのシトラスパインは山陽以外でも割と多くのボトラーが取り扱っていた。他に把握してるのは利根、長野、北陸、近畿、四国。この時点ではコカ・コーラライトは終売していた模様。

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何の変哲もないリアルゴールド。山陽では大型のバリューサイズも販売していた。

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リットルサイズ各種。ここでもファンタパインフルーツの姿がある。山陽ではレモンの販売はあったがフルーツパンチのリットルサイズ発売は不明。ちなみに山陽では全製品のホームサイズ販売を1987年に終了している。晩年はあまり販売に力を入れてなかったらしく、最後まで木製のシェルを使用していたようだ…。

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コーラとスプライトのPET製品。新テイストのコカ・コーラライトは全国でも山陽とみちのくが他のボトラーより一年早く実験的に採用していた。

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ファンタとメローイエロー。なぜかフルーツパンチのみ旧ロゴ。アップルミックスは350ml缶も発売したかもしれないが詳細は不明。ファンタ新製品を1.5リットルサイズだけ発売するという外道なことが当時はあった。南九州のパインフルーツとかも同じ事例。メローイエローはなんと1994年時点でも販売していた。

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アクエリアスと神葉烏龍茶。この時代はキャップの口径がでかいでかい。

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HI-Cサンフィル。オレンジとアップルの発売。でもただのHI-Cもオレンジとアップルを発売している…。果汁分が違うと言え、同じような製品を販売する意味があるのだろうか。

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で、こちらが果汁30%のHI-C。この時代のHI-Cのデザインが好きだ。東京じゃサンフィルがなくなってこれだけの販売になっていた記憶がある。

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250mlの炭酸缶製品。写真にはないがリフトオレンジもあったはず。山陽で製造はするけど販売はやめたから載せてないのだろうか?

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非炭酸製品各種。この中で珍しいのはサンフィルグレープフルーツ。サンフィルオレンジとアクエリアスは2ピース缶?カフェ・オ・レのデザインが懐かしい。この頃は粉乳使用の「コーヒー入り清涼飲料」規格だった。

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ショート缶と濃縮モネの壜。東京だとこの缶のモネは販売してないはず。最初HI-C100のような指をひっかけて開けるタイプの壜(正式名称失念)で出て、350ml缶に変わったのはよく覚えている。

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炭酸350ml缶。元々山陽では350ml缶を中心に販売していたのが1981年を境に250ml缶販売に切り替えた経緯がある。旧3ピース缶時代に販売していたファンタグレープの姿が見えない。メローレッドだけなぜか3ピース缶だ。メローイエロー350ml缶はスーパー300からの切り替えによる代替製品と思われるので、この時点では未発売。サンティバジンジャーエールは子会社等を通じてカナダドライを扱っていたボトラーが大半を占めていたので最初から売る気がなかったようで、それが90年のカナダドライとのライセンス許諾契約に結びつくことになる。ちなみにコカ・コーラのライセンス取得前に山陽エリアでカナダドライを販売していたのはカバヤ&オハヨー乳業とチチヤス。

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サンフィルとアクエリアスの350g缶。東京では同時期オレンジのレギュラーサイズ以外のサンフィル販売を打ち切っていたため、旅先でこのサイズの缶を見た時の衝撃は大きかった。アクエリアスは東京でも販売していた。

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500ml缶もまた、当時の関東では利根のコーラ以外はお目にかかることがなかったと思う。このサイズが今のように一般的になるのは1993年頃から「サマーサイズ」と称して販売するようになってからだろう。

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最後は紙パックのドリンクボックス。三国ではスーパー300やペットも販売されたサンフィルフルーツパンチだが、パッケージのイラストを見れば分かる通り実質「ファイブアライブ」。ものの見事にアレピグパだ。記憶にあるところでは横浜のダイエーにこの手の自販機があったと思うが。

 
写真引用:山陽コカ・コーラボトリング25年史