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山陽コカ・コーラボトリング広島工場は、1964年4月に待望の本社工場として広島市近郊の可部町に竣工した。設置された1号ラインはレギュラーサイズ専用で320BPMのものであった。山陽では「一県一工場」というペースで工場を建設しており、岡山工場・山口工場・福山工場・米子工場を次々に建設。それでも他ボトラー同様に、高度経済成長下で伸び続ける需要を満たすことができず1970年5月にホームサイズ兼用の2号ラインを増設。岡山工場・山口工場から持ってきていたホームサイズを人口の多い大消費地広島から供給出来る体制が整う。この地においてライバルのペプシは地元の名門大企業宇部興産がボトラーを経営し大きな力を持っていた。生産体制の強化は重要だったのである。

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1978年にはニューファンタグレープ生産のためのパストライザー設備を設置。東京コカ・コーラボトリングと同じくファンタ活性化のためなのかこの年から他ボトラーと歩調を合わせ500ml壜を発売する(東京はグレープのみだが山陽はオレンジも発売)。また、2号ラインではペプシ300の対抗商品である同じ300mlサイズのコーク300の生産を開始。これは山口工場でも生産されていたが、よく売れたそうである。

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そして1979年5月に老朽化した1号レギュラーサイズ専用ラインの設備を撤去し、高速445BPMのリットルサイズラインを設置。岡山工場についでリットルサイズの生産を開始。

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1983年3月には1号リットルサイズラインを改造し、三国コカ・コーラボトリング埼玉工場(現在の岩槻工場)に次ぐ全国で2番目のPETボトルラインが誕生した。三国は小型ワンウェイボトルとの兼用設備だったので能力が低かったが、こちらは当初から240BPMの能力を有す高速ラインであった。広島工場は西日本の他ボトラーの生産設備が整うまで1.5リットルPET製品を供給。そのため製品の収納はプラスチックシェルではなく段ボール詰めが採用された。1986年にはコールド充填によるアクエリアス・HI-Cサンフィル等の非炭酸飲料の生産も開始する。1990年には福山工場の閉鎖に伴い、そこで生産されていたワンウェイ壜製品の設備が移設されたと推測。山陽では全国で唯一コンツァーボトルのコカ・コーラライトが発売されたりした。ホームサイズに代わるワンウェイボトルのミディ500は全国でも沖縄に次いで採用が遅く、1991年時点では未発売。これは、500ml缶が早くから浸透し恒常的に販売されていた山陽エリアの特質性があると推測される。

1994年には出雲地区限定となる1リットルおかえりボトルの生産を開始。前年に生産終了したリットルサイズのノウハウをそのまま生かすことの出来たおかえりボトルは新しい試みとして注目された。当初は旧リットル壜同様の広口の壜が使われていたが、後にPET製品同様の狭口ボトルを採用。このおかえりボトルはコカ・コーラとアクエリアスの二種が発売されたが、出雲市長の交代によりあっさり終売となってしまった。これは非常に残念なことであった。

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1999年に山陽コカ・コーラボトリングと北九州コカ・コーラボトリングが合併し、コカ・コーラウエストジャパンが発足。山陽コカ・コーラボトリング広島工場からコカ・コーラウエストジャパン広島工場となり引き続き操業を続けるが、それから一年後に閉鎖が決定。よって製造所固有記号「WHI」が使用された時期は非常に短い。工場閉鎖にあたり1号ラインの設備は本郷工場3号ラインに移設され現在でもPET製品を生産している。


◎山陽コカ・コーラボトリング広島工場の変遷 (製造所固有記号:なし→K(本社移転後)→SHI→WHI)

85年に本社機能が広島市内のニチレイビルに移転し、「可部」の「K」を冠した製造所固有記号がついた。その後SHI→WHIとなるが、WHIの期間は非常に短いのでこの時期に生産された製品は割とレアである。

 1号ライン

  64年開設 レギュラーサイズ(320BPM)
  78~9年  撤去     
 
 新1号ライン

  79年開設 リットルサイズ(445BPM)
  83年   1.5リットルPET対応(240BPM)
  86年   コールド充填対応(アクエリアス・HI-Cサンフィル)
  94年   おかえりボトル対応
  9X年   500ml対応?
  00年   本郷工場へ移設

 2号ライン

  70年開設 レギュラーサイズ(720BPM)・ホームサイズ(500BPM)
  77年   300ml壜対応(500BPM)
  78年   パストライザー設置
  90年   福山工場のワンウェイ壜製造設備(キャッパー等)を移設
  00年   閉鎖
     
 
  
写真引用:山陽コカ・コーラボトリング25年史